「模型のメディア論」の著者 松井広志さんに聞くプラモのお話。インタビューの最終回をお届けします。
■プラモデルは音楽で言えば「聴く人と作る人の間の存在」。
まいど! プラモがポピュラーカルチャーとサブカルチャーの間にある、つまり完全にポピュラー化していない理由を松井さんはどう考えますでしょうか?
松井 プラモデルには、最初から“つくる”というのが組み入れられてるからかもしれません。一方で、音楽に例えますと聴くことは極めてポピュラーですが、曲を作る人は少数です。プラモデルはその聴く人と作る人の間の存在になります。だから音楽をライトに聴くだけのように、プラモデルを「見るだけ」「触るだけ」のという人のほうが少ないと思います。言い換えると、いきなり中級者的になります。さらに、音楽を聴くことは昔に比べると大変ポピュラーなものになりました。昔だと、音楽を聴くには、レコードを買ってきて、スピーカー・アンプ・レコードプレイヤーを準備して、レコードを拭いて、針を落として、それも簡単には曲を飛ばしたりできない! というものだったのが、カセットテープやCDの普及、更にはデジタル配信になりポピュラー化しました。
松井 音楽聴取の歴史と比較すると、模型は戦後のある時期からのプラモの普及時にかなり親しみやすくなりました。ただ、その後により親しみやすさが進んだ部分もありますが、まだ「難しそう」と思う人は多いと思います。ポピュラーな部分をカバーするものとして、完成品フィギュアの需要が高まったという面もあります。多くの模型メーカーが完成品も販売していますが、完成品とプラモの接続がうまくいってないのかもしれません。
まいど! 「最初から『作ること』が含まれていながら、手軽に作れるもの」という、模型の特性に類似したものは他に例がありますか?
松井 あまりないですよね。
■「スマホのカメラ」のような手軽さがあるか?
まいど! 写真・カメラはもしかしたら近いものがあるのではないでしょうか?
松井 確かにそうですね。いまではスマホで写真撮影が一気に日常化しましたが、一昔前のカメラはプラモに近いかもしれませんね。僕らの親世代の時のカメラはフィルムで、現像しないといけないですし、ピント合わせはもちろん露出やシャッタースピードなども手動という敷居の高さがありました。しかし、カメラの露出計搭載やフルオートのカメラで、さらにはデジタルカメラでポピュラー化しました。現在はスマホで写真を撮ることは極めて日常的な行為になりました。更に重要なこととして、写真はいまでも一眼なりいろいろレベルがありますよね。スマホだけの人から、レン ズ交換式のものを使ったり、今でもフィルムを使う方もいます。
まいど! レンズ交換式カメラを使う人でもスマホのカメラも使いますよね。
松井 現在のプラモにはそのスマホのカメラ部分が少ないように感じます。売られ方もポピュラーさを志向している部分もありますが、なかなか達成できていない。消費のされ方も完全に今のスマホのカメラほど手軽にはなっていないように感じます。一方、食玩やガシャポンではプラモと同じ設計手法やノウハウで作られたものは多く、幅広いものが商品化されポピュラー文化と言える存在となっています。ただ、その消費のされ方をプラモ側にあまり取り込めていないように感じます。
まいど! 確かに知人のガシャポン関係の方に「商品は猫とかバスとかみんなが知ってるポピュラーなものが良い」と教えてもらったことがあります。
松井 おっしゃるとおり、私の勤務校の学生でも男女問わず、ガシャポンなどのカプセルトイを「つい買ってしまう」とう人が多いです。その食玩やカプセルトイとプラモデルとの接続が現状ではうまくいってない気がします。プラモデルをつくりそうにない女子学生とかも、現状ではガシャポンで商品化されたアイテムの「かまきり」のプラモを買ったりするんですよ。これは実際の中身はかなり精密な彩色済みプラモですが、「プラモ」というカテゴリーで認識されていないと思います。そのため、「かまきり」を1つ作って終わってしまうのかもしれません。
まいど! 確かに私の妻も「リラックマ」のプラモデルを喜んで作っていましたが、それっきりでした。あまりプラモとして認識していなかったようです。
松井 ガシャポンのマジンガーZを堂々とnippperでは取り上げておられましたね。こういう間口の広い、いわばポピュラーなものと現在のプラモをうまく接続できるような動きが出てくると良いなと思います。
プラモがスマホの写真と同じようにポピュラー化して欲しいなと常々考えながら、プラモと世界はどうリンクしていくのかをこうして意見を交換したりして行動することは大事だと思います。プラモがさらにリビングでも書斎でも趣味部屋でも作られ飾られる世界が来ることを願って、さあ、今日もプラモを楽しむぞ!