
ミニアートの情景作りに使えるような小物が集まったキットで、まったく同じパーツが入った小サイズのランナーが何枚も入っているのを見るたびに、どこか疑問に感じていた。「大きなランナー1枚にすべてのパーツをすっきりと納めたほうがいいのでは」と思っていたからだ。この1/35 ウォーターポンプセットに何枚も入っているバケツのパーツもそう。違和感を覚えるというか。実際に作っていくにしても、同じ作業を何度も繰り返す途方もなさや退屈さを想像してしまうときもあった。

先日、木箱のセットをすべて組み立て終えた。切り出したパーツをすべて作り、ベース上での配置を何度も検討したのちにきれいに接着し終えた瞬間は、実に気分の良いものだった。ところが作業環境を片付けている最中に、配置し忘れていた木箱がひとつ、棚の上に置いてあることに気付いたのだ。

ベースは全体の密度感を考慮してギリギリの寸法で切り出していたため、今さらこの箱を押し込む余白は残っていない。何より、現時点でのレイアウトや色とりどりさに満足していたので、それを崩してまで無理に付け足す気にもなれなかった。
「残された木箱をどう扱うべきか……」などと考えているうちに、ふと同一ランナーが複数入っている意味に気づいた。ニッパーの刃を入れていないまっさらなランナーを組み合わせることは、歯抜けになったランナーを眺めながらやるよりも、どのパーツをどれだけ使い、どう情景を組み立てるかという選択をする工程は思ったよりも気分が良く、クリーンな気持ちで臨めるのだ。小分けのランナーは取り回しも良く、何より自由自在な感覚が強かった。

他のキットで余っていたミルク箱のパーツを持ってくるのも簡単だ。何せ「ひと枠に一個分」と決まっているのだから。自分だけの情景キットを製品として編集しながら作っている感覚にもなった。そう思いながらミニアートのカタログを眺めてみると、たとえばカートならカート単体など、ランナーごとに分かれている小物を集めて、カートセットとして展開している。商売上手だなという気持ちもあるが、メーカーがやっている「プラモ的編集」を、組み立てる前にその気になれば自分でもできる余地があるのがいいと思った。

バケツの数を調整したり、前に作ってとっておいた脚立を組み合わせると道具置き場の出来上がり。忘れ去られていた木箱もいい存在感を出している。取っ手がエッチングパーツでできていてキュッと細いのが良い。位置を自在に変えられるので重ねて置くと急に日常感が出て面白かった。