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万博における上昇装置/プラモデルで読み解く『太陽の塔』の本質的機能とアートの衝突。

 エッフェル塔は、現象学的体験としての「三百メートルの高さ」を、エレヴェーターによって、というよりむしろ、エレヴェーターとして、現実化したのであり、今日エッフェル塔見物に訪れる人々にとって、この<塔>のもっとも「関与性」の高い構成要素とは、その「高さ」である以上に、「高さ」を体験させてくれるこのエレヴェーターという建築学的装置それ自体なのではないだろうか。もっと言えば、エッフェル塔の本質はエレヴェーターにある、とさえ暴力的に断言してしまいたい気持に駆られないでもないのだ。
(松浦寿輝『エッフェル塔試論』より引用)

 大阪万博のことを知らないなりにさまざまな文献を読み進めていくと、『太陽の塔』は地上、地下、空中の3層にわたるテーマ館を貫く建造物であり、すなわち空中に設けられたパビリオン(現在は解体済み)へ来訪者を運ぶための設備であったことがわかる。塔として建てられ、あとから内部にエスカレーターを設けたのではなく、「人類の進歩と調和」というテーマを見に訪れた人々を垂直に輸送するための装置だったのだ。

 岡本太郎は「人類の進歩と調和」というテーマに真っ向から反対し、不気味な地底空間を人類の昔の記憶で飾り立て、塔の内部に太古から繋がる生命そのものの進化を彫刻し、壁を真っ赤に塗り、上昇する来訪者たちに痛烈なメッセージを投げかけた。精緻に組み上げられた鋼管フレームが左右の腕を支えていて、右腕の内部は大屋根の空中展示に人を運ぶエスカレーターがあり、左腕の内部には緊急時に使われる非常階段があったのだという。

 海洋堂の『太陽の塔』はこの円錐形に組まれた鋼管フレームをこれでもかと再現しており、円錐の底部にあたる端面から内部を覗けば当時の人々が畏怖した未来への階段とそれを取り巻く景色をを想像できる。上昇というのは単に物理的な運動のことだけを指すのではなく、進歩とか調和……つまり、「未来」を見に行くための導線であり、それと絡み合うように人類を含む生命の辿ってきた歴史を配置したことに太陽の塔の凄みがある。

 ちなみに、長い期間をかけて万博終了後に埋め戻された地下空間や塔内部のレストアが行われ、2018年にふたたび公開された太陽の塔は各部の補強と軽量化に伴い、下層部のエスカレーターは階段へと架け替えられ、右腕部のエスカレーターは撤去された。

 このプラスチックモデルでは左腕部の階段を立体化し、右腕の内部は現状と同じエスカレーターがない状態、そして下層部は現状の階段ではなくエスカレーターが「復元」された状態でパーツ化されている。いわばひとつの模型の中に異なる時空が封じ込められていると言い換えてもいいだろう。

 中央に建てられた「生命の樹」と干渉しないようにエスカレーターを互い違いに取り付けていく工程は緊張するが、この塔の本来的な機能を体感する上で欠かせない工程とも言える。アートであり、建造物であり、装置である太陽の塔の様々な顔が、組立工程のなかで行きつ戻りつしながら我々を驚かせる。

  現存する外観からは決してうかがい知ることのできない、「人が上昇するための装置」としての太陽の塔。しかし、内部を組み立て、上昇に必要な設備を取り付けると岡本太郎の訴えはほとんど見えなくなってしまう。なるほど、このエスカレーターを昇りながら眺める驚異的な景色こそが本質であり、模型化されたものを外部から鑑賞するという行為ははあくまで客観的な体験にすぎないことがよく分かる。

 幸い、これはプラスチックモデルだ。前後に分かれた外装はいつでも分割でき、エスカレーターは完成後も取り外せる。悲しいかな我々は1/200スケールの人間ではないが、この塔が持つメッセージをどのように見せるかを選ぶことはできるのである。

からぱたのプロフィール

からぱた/nippper.com 編集長

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。

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