
数年前まで「AI」という言葉が未来の象徴のように語られていたのが、今ではすっかり日常になった。そして世界各地の戦場では、小型無人機ドローンが当たり前のように飛び交っている。ほんの少し前まで“未来”だったものが、急速に現実へと変わっていく――そんな時代を目の当たりにしていると、ふと僕は思うのだ。
「俺たちが思い描いていた未来って、もっとロマンがあったよな」と。
そんな僕の中に残り続けている“未来のロマン”のひとかけらが、『マシーネンクリーガー』に登場するシュトラール軍の無人兵器たちだ。そこには兵器としての冷たさだけではなく、原作者・横山宏ならではの、どこか愛嬌のある「かわいさ」が宿っている。無骨なのに、妙に親しみがある。恐ろしいはずなのに、ずっと眺めていたくなる。だから今、僕は「マシーネンクリーガー ヒューマノイド型無人邀撃機 グローサーフント」を無性に作りたくなった。

SF映画に登場する無人兵器のように、人型を模していながらもどこか無機質で、不気味な畏怖を感じさせるデザイン。だからこそ僕たちは、そんな無人兵器の姿の中に“ロマン”のようなものを見てしまうのかもしれない。「グローサーフント」は、『マシーネンクリーガー』の世界に漂うその独特な空気感、冷たさと愛嬌、恐ろしさとかっこよさが同居する魅力を、思う存分味わえるキャラクターなのだ。

メカ設定でも、グローサーフントはAIの損傷によって度々暴走していることが描かれている。
「AI」という言葉の裏側には、いつだって「いつか人間が支配されるのではないか」という不穏なテーマが付きまとっている気がする。そして、それがグローサーフントのようなデザインで迫ってきたら……そりゃめちゃくちゃ脅威だ。人型なのに感情が見えない。機械なのに生物感がある。しかも無言でこちらへ向かってくる。そんな存在が暴走した時の怖さを、このメカは見事に形にしている。でも同時に、そのゾクゾクする感じこそが、SFメカとAIという題材が持つロマンなのだとも改めて気づかされるのである。

しかもそんなハイパーな無人兵器が、実は僕たちのよく知っているプラモデルのパーツを巧みにミキシングして生み出されている。そこに『マシーネンクリーガー』ならではの面白さがある。『スター・ウォーズ』のプロップのように、さまざまな模型のパーツを貼り合わせ、芯にし、再構築して未来の兵器へと昇華していく。横山宏のメカは、そんな“模型的発明”の上に成り立っているのだ。

だから舞台は遠い未来なのに、どこか親近感がある。「このディテール、もしかして戦車模型のパーツっぽいな」とか、「ここは飛行機模型の匂いがするぞ」と想像しながら眺めていると、一気にメカとの距離が縮まる。そして実際に作ってみると、その感覚はさらに強くなる。横山宏が「かっこいい」と感じた形や情報量が、プラスチックのパーツを通してダイレクトに伝わってくる。未来兵器を組み立てているのに、同時に“模型の楽しさそのもの”にも触れている。そんな興奮が『マシーネンクリーガー』にはあるのだ。

AIや無人兵器が当たり前のように語られる現代に、こうして『マシーネンクリーガー』の無人兵器を組んでいる。現実の世界は、かつてSFだった領域にどんどん到達しているというのに、僕は今も机の上で細かなパーツをちまちまと貼り合わせ、「SFの無人兵器」を作っているのだ。でも、そのギャップがたまらなくいい。現実の未来と、自分が憧れていた未来。そのズレを感じながらプラモデルを組んでいると、「ああ、俺は今ちゃんと生きていて、趣味を楽しんでいるんだな」と強く思える。未来は、思い描いていた通りにはやってこない。だけど、そのズレや違和感ごと楽しめるからこそ、SFも模型も面白い。
そんなことを、グローサーフントを組みながらしみじみ感じていた2026年の晩春だった。