アルトとセルボが2個入ったアオシマの粋な再販プラモ。なかに入っているのはそれぞれのボディと細かいパーツ。んで、シャーシやワイパー、足回りを収めたランナーは共通で、その名も「1/20 軽自動車」というタグがくっついている。同じ組み味で似た車格のカーモデルが一気に作れてしまうのだ。同じものを揃えても、違うものを比べてもプラモは楽しい。缶スプレーを2本用意して、いざスタート!
アルトはタミヤのブルーバイオレットを吹いた。赤みと鮮やかさを兼ね備えたキレイな色なので本当に気に入っている。発色もいいから、白いプラスチックにカーンと一気に吹けばおしまい。セルボは同じくタミヤのキャメルイエロー。赤みがかった目に優しい黄色だけど、こっちはエッジや凹んだところが少し透ける。一度で全部塗りきらず、数分おきに様子を見ながら重ね塗りした。缶スプレーはまるっと塗るときに手早くきれいに仕上がるから大好きだ。練習するとプラモがうんと好きになる。
スプレーしてから30分ほど置いておくと、表面に指紋が付かないくらいには乾燥する。その状態で今度はGSIクレオスのプレミアムトップコート(光沢)を表面がテロンテロンに濡れた状態になるまで吹き付ける。垂れるとか白く濁るとかを恐れずに、ビチャビチャになるまで吹いていい。そしてふたつのボディを浴室乾燥にかけて居酒屋に行った。久しぶりに食べるイカのぬたに瓶ビールが美味い。
朝起きて、アルトのシャーシを組み立てる。色は塗らないで、ただプラスチックパーツをそのまま接着剤でペタペタ貼っていくだけだ。現代的なカーモデルと違ってドアの内張りやダッシュボードはボディパーツの方にくっつくので、ベタッとしたフロアからふたつのシートがニョキッと生えているだけのちょっとファニーな佇まいになる。それにしてもバックレストのシボ加工がなんとも素敵だ。
ほとんど同じ構造だけど意匠が違うセルボのシャーシも組んでいく。リクライニング機構も再現されているから、助手席は少し倒した状態でヤンチャにする。後席が上げ底になっているのはその下にモーター走行用の電池が入るという仕組みの名残り。いまじゃ静かに佇むディスプレイモデルのような顔をしているけど、昔はさらにその後ろのスペースにモーターやギアボックスが入った玩具的な仕様で売られていたのだろう。
そういう時代があった、ということがそのまま金型として残っていて、こうして現代にもシャキッと生まれ直してお店に並ぶのが嬉しい。親父の世代が若かった頃のおもちゃを、こうしてオレも同じように遊べるなんて、やっぱりプラモは面白い。
ボディカラーを塗るだけでも良かったけれど、クルマに締まりをもたらしてくれるのが窓のトリムだ。最近のカーモデルじゃ細いトリムを示すスジボリが入っていたり、トリム自体が別パーツになっていたりと繊細きわまりない部分だが、このプラモはゴッツい段差で表現されている。面相筆に水性塗料のつや消し黒を含ませて、段差に引っかけてグルーっと描いてしまえばキレイに仕上がる。
グリルやバンパー、灯火類をくっつけたら完成だ。アルトのミラーがどうしても実感を欠いた角度にしか取り付けられない設計なので、セルボのほうは余ったパーツのなかから切り取ったドアミラーをくっつけておいた(これは同時並行でふたつの似通ったプラモを作る、という不思議な行為がもたらしてくれたミラクルだ)。
現代のカーモデルは初心者向けと称して色分け済み&シールで細部を表現するものも増えてきた。反面、正確性を求めるハードコアなモデラーのためにあらゆるパーツが白やグレーで成形され、どんな細かな部品でも自分で知恵を絞って塗装することを求めるアイテムもたくさん売られている。どちらも存在価値はあるけど、両者のギャップを埋めるのはなかなか難しい。シールを100回貼っても、塗装がうまくなるわけではないから。
昭和50年代に売られた当時最新の軽自動車のプラモがこんなふうにサラリと仕上がるのを見ていると、案外「塗装の初めて」や「接着の楽しさ」みたいなものはこういう昔のアイテムにこそ良いバランス感覚が備わっているのかもしれない。徹底的な緻密さはないかもしれないけど、パーツは少なく彫刻ははっきりしていて、どこで何をすればいいかが明確。過去からやってきて、カーモデルの明るい未来を指し示すようなふたつの軽自動車。いまこの瞬間に新製品として買えることは、とても素晴らしいことだと思う。
模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。