プラモデルがホンモノを追いかけ続けてたどり着いた場所/メビウスモデル 1965 プリムス・サテライト

 我々がつくっているのはただのおもちゃに過ぎない、という自覚があるのと侮りがあるのとでは決定的に違いが出る。何に? 結果にだ。
 連綿と続くアメリカンカープラモのはじまりに、まず自動車メーカーのブループリント(図面)があった。本物の自動車をつくるための図面。これを母として、本物の自動車とそれを模したプラモデルが生まれた。弟は憧れの兄をよく助け、兄はできた弟をよくかわいがった。
  いつしか弟は成長し、プラモデルであることの自覚が芽生えた。それまでずっと憧れ続けた兄と、自分はどうしてこうもあちこち違うのだろう。エンジンに火が入るのは無理としても、ただの金属の棒っきれに車輪がただくっついているのは、それが肝心のエンジンを貫通してしまっているのはあんまりじゃないか。窓ガラスだって本当は窓枠それぞれにピタリとおさまるべきだ。座席が背抜きのままじゃ恥ずかしい。ヘッドライトだって本当は透明で、ボディーとシャシをつなぐのにネジなんかに頼ってちゃ──。
 弟はじっくり時間をかけて憧れた兄の背を追いかけ、やがて兄にひけをとらない精密な体を手に入れた。

ホビコレ メビウスモデル 1/25 1965 プリムス・サテライト

 21世紀。アメリカンカープラモは本当に精密になった。
 プラモデルを慕ってくれる少年たちもすっかり大人になっちゃったけど、クラスメートの輪に入れてもらうため、競い合うためにプラモデルをつくることもなくなって、今はまるで本物の自動車とまったく同じように、時間と心血を注ぎ込んでは誰はばかることもないこだわりのマイ・ベスト・ワンをものにし続けている。

 メビウスモデルの1965年式プリムス・サテライト。長い長い成長の時代を経て、すっかり成熟したアメリカンカープラモの姿がそこにはある。弟別れて半世紀なれば、すなわちさらに刮目して組立説明書を見てほしい。ディツラー(Ditzler)の文字が躍るカラーチャート。ディツラーはアメリカ自動車業界に深く根をおろした塗料のサプライヤーで、長きにわたり本物の自動車のあの輝きを支え続けた。「何年式のあのクルマ」とひとこといえば、即座にこんな色がありましたと分厚い見本帖がどんと出てくる生き字引だ。ああ、もうこれは本物の自動車だ、思えばプラモデルはずっと「坊主、好きな色で塗りな」だったっけな。

 フルカラーの組立説明書に、ターコイズ・メタリックの塗装見本。写真だ。シャシの裏まで載っていて、かつて本物の自動車の塗装が今と違って熟達した職工による噴き付けだったことを示す「回り込み」まで再現されている。写真のあちこちには注釈があって、ここは本物にも仕上げのバリエーションがあって云々、カーディーラーでも決してしてくれないような世話を焼き続けてくれている。夢中になって読み込むうちに、熱いコーヒーさえ出てくるかもしれない。

 今に到るどこかで誰かが「所詮はおもちゃに過ぎない」と鼻で嗤って、取り巻きがもみ手をしながら左様でございますねとお追従を述べていたら、こんなに豊かな今はきっと来なかった。どこかで誰かが「これはおもちゃだからこそ」とあえて理想を注ぎ込まなかったら、やはりこんな今は来なかっただろう。
諦めなくて、よかった。諦め切れなくて、本当によかった。

ホビコレ メビウスモデル 1/25 1965 プリムス・サテライト

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bantowblog

1972年生まれ。元トライスタージャパン/オリオンモデルズ、旧ビーバーコーポレーション勤務を経て、今はアメリカンカープラモの深淵にどっぷり。毎週土曜22時から「バントウスペース」をホスト中。