

「メーヴェって、どんなカタチだっけ」とプラモを組んで持っていったのは、こういうことだった。「メーヴェみたいなもの」を作っているのか、「ナウシカの飛行具と同じ意味を持った何か」を作っているのか、私は生意気にも確かめようとしていたのだ。
きっかけはもう忘れてしまったのだが、最初はTwitter上のことだったと思う。八谷和彦さんは私の不躾なツイートにも丁寧に返信をくれて、そこからポツポツと言葉を交わすようになった。
メーヴェのような飛行機を個人で作って、飛ばしている人。紋切り型の「アニメの世界をリアルに再現する」的なメディアによる取り上げかた(往々にしてそれは「変なおじさんがいるぞ」というニュアンスを含んでいるように感じる)と、世間の人たちの「ロマン」とか「夢」というふわふわした受け止めかたに私は長いこと辟易していた。ありとあらゆる手続きが前例主義とまどろっこしさに満ちたこの国で、飛行機を作って飛ばすことは「カネも時間もかかる道楽」では済まされない。

ようやく少しだけ暖かくなったある日、東京の下町にある無人島プロダクションというギャラリーで八谷さんと彼が作る飛行機、M-02Jを目の当たりにした。入り口にはB-29(日本に無数の爆弾を落としたアメリカの巨大な爆撃機)の機首が印刷されたパネルが立てられていて、中に入ると秋水(日本が開発したロケット戦闘機。実戦には間に合わず終戦を迎えた)にまつわるさまざまな資料が並べられている。そうしたものに囲まれたフロアの真ん中に、白くて美しいM-02Jがふわりと翼を休ませていた。
日本の空は終戦とともに閉ざされた。物理的に羽ばたけば飛べるかもしれないが、飛ぶための手続きはおろか、飛ぶという行為にまつわる考え方そのものが取り払われてしまった。欧米にあるような「誰もが自由に空を飛ぶための施設や決まりごと」というものが失われると、たとえ手元に飛行機があったとしても、それは飛べない彫刻になってしまうのだ。

この個展のコンセプトを私が書き連ねるよりは、展覧会ステートメントを読んだほうがいいだろう。ただ驚いたのは、M-02Jという飛行機が「ちゃんとメーヴェしていた」ということ、ただその一点だった。ただ自家用機を作って日本の空をこじ開けるというのならまだしも、全体のカタチはもちろん、空力的にそれを要請されているわけではない部分までもがメーヴェの持つ美しいフォルムを参照していて、そこに造形として二重の意味を持たせてあることに感激してしまった。
美しいカタチと飛ぶカタチ。ニワトリとタマゴのようで、それらはお互い不可分に定義し合う。個展のクロージングに至って、八谷さんは自らスタッフとともに機体を分解しながら機体の構造と設計思想、そしてその彫刻としての美しさについて語った。楽しそうで、大変そうで、笑顔のなかに闘志を燃やしていた。

青いフーディーを着ているのは偶然なのか必然なのか聞きそびれてしまったが、八谷さんは私の面倒な質問にも根気よく答えてくれて、最後にメーヴェのプラモを持ってくれないかと頼むと、「それはいいですね! 本当は1/48スケールでM-02Jとファインモールドの秋水のプラモも並べたかったんだけど、間に合わなくて」と告白した。白い翼と青い八谷さん。白いプラスチックと青い塗料でそれらしくしておいてよかったな、と思う。
私は模型とM-02Jを見比べて、「どこが同じ」「どこが違う」とやりたかったのではない。そこに共通する考え方(内側から湧き上がってくるもの)と、異なってしまう要素(外的な要請によって規定される事柄)をじっくりと見比べることによって、メーヴェの美しさとM-02Jの美しさがより際立って見えた。そしてそこに込められている怒りと、信念と、見据える未来とが見えた。何よりも、私が作った模型が八谷さんの手に乗ったときに、ビリリと電流のようなものが走るのをハッキリと感じたのだ。
