

「疲れたわ」なんて言いながら椅子じゃなくて床にべったりと座るときに、身体は脱力してるのだけどその姿勢を維持するために背中だとか脚とかに力が入ってる。「ああ、このまま『もうだめだー』ってなりたい」と思うと、脚はだらしなく伸びて、場合によってはそのままゴロンと寝てしまう。その一歩前、まだ立ち上がる力はギリギリ残っているけど、ところどころがエネルギー切れ。姿勢を保つ最低限のパワーを身体に行き渡らせ、座り込む。
この脱力した部分と力が入っている部分のバランスって、プラモデルで再現しようとすると相当難しいんだな、というのを1/35の兵士たちを作っているとよくわかります。背筋や首の角度、手の表情などにしっかりとニュアンスをつける原型師の人の腕前に毎回毎回感心します。
ちょっとしたバランスが緊張感やリラックスした様子を生み出している面白さは、たとえ自分がポーズをつけられなくても構わずそのまま置いておくだけで、小さい水槽で飼育するベタと呼ばれる熱帯魚のように、優雅に力強く存在します。

「朽ちダグラム」の面白さってそこにあって、例えば地面にべったりとついた手は身体を支えるためにグッと力が入っているのだけど、膝にかけた方は完全にダランとしている。脚の開き方、上半身の屈み具合にもそういう力の配分を感じ、妙な親近感が湧きます。
僕が勝手に「パーツレシオ」と呼んでいる「パーツ一つ一つがどれだけ、組み立ての面白さや完成時の様子に寄与しているのか?」という指標あるんですけど、朽ちダグラムはそれが高い。コックピットなどの精密な表現は金型にお任せして、大事な身体の各パーツのニュアンスの持たせ方とストレスのない組み立て方にすることで「朽ちた感じを作ることで味わってくれ!」という様子がしっかりと伝わります。

ダグラムファンにとってはいかにこのシーンが重要で、それを「組み立てて再現するとはどういうことなのか」がはっきりとわかる。朽ちダグラムで大事なのは、ポーズなんだと。そして、それが部屋に置いたときの存在感を高めるというわけですね。
作っていて面白かったポイントとして、人型ロボットの持つ機能がプラモ上は「人であり機械である」ということがあります。人間らしく腕が曲がるとかちゃんと尻を地面に着けて座れるというのを、機械の上での「関節」として汲み取るのが可動するプラモデルだとしたら、こうして「疲れ果てて座っている」というのを人間らしいニュアンスで汲み取ったのが朽ちダグラムなのではないでしょうか。

設計した人と作る人が「ダグラムの世界」という砂山の前に座り、互いに違うところからトンネルを掘ってたら途中で互いの手が触れ合うような共感の面白さ。他のモチーフでももっとあり得るはずだし、今までじゃ想像できなかった躍動感のあるポーズとかで「これはかっこいいね!」と思わず言いたくなる場面を作らせてくれるプラモデルがもっと出てくると私はハッピーだなと思うのです。