

息子は常時不規則かつ超高速で動くし「写真を撮るからじっとしていてくれ」みたいなプロンプトは「自分のカワイイ顔が撮られている!」という自覚がない限りは無視される。それはそうと、私は風呂場にある子供用ボディソープのボトルに描かれたポケモンがピカチュウとポッチャマであるということを知らず、いっしょに風呂に入る息子からの「これは~?」という問いに対して長いこと「この左のやつは……モクローかな……」とか適当なことを言っていた。
ある日曜日の昼下がり、息子にウソを教えていたことに対する罪滅ぼしのためにポッチャマの立体的色彩的な特徴を手指から覚える活動、すなわちプラモデルづくりというものをを息子といっしょうにやろうではないか、と思ったのだった。ちなみに、ピカチュウは息子もオレも一撃でわかる。ピカチュウすげえな。
「ポケプラクイック!!」の対象年齢は6歳以上。プラモデルの対象年齢というのが何によって定められるのかは知らないが、まずパーツを口に入れて飲み込まないこと、パーツを組み合わせて形状を組み立てて楽しむものだという概念を理解すること、そして説明書が読めること……などと考えるとたしかに2歳になったばかりの人間にはこれがなんだかわからないのではないか。そしてそれは杞憂だったなどと書くまでもなく、ハコを開け、袋を破ろうとし、「できにゃい!」と一瞬の癇癪を起こしたのちに私からランナーを奪い取ってパーツをもぎ取り始めるではないか。

私が息子の前でプラモデルを組んでみせたことは2度ほどあるが、そんな記憶は当然残っていないだろうと思っていた。しかしいま、事実、目の前で、息子はタッチゲートと呼ばれる工具不要の設計の恩恵を存分に受け、ポッチャマの胴体を、頭部を、ランナーそのものをバキバキと細分化している。親バカではない。人類のDNAには「ランナーを見たらパーツをもぎ取れ」という司令が刻み込まれているに違いないのだ。

おもしろいなと思ったのは、黄色い足のパーツだけは指の動きの精緻さが追いつかないことと、パーツの小ささゆえに回転モーメントが稼げないため「レバガチャで偶然外れる」ということもなかったことだ。そうか、デカいパーツって手のひら全体を使ってむんずとひねり倒すからチカラをかけやすいもんな。足のパーツだけは父ちゃんが外してやろう。偉大なる父を見て尊敬するのだ息子よ、と言ってる端からこっちには目もくれずパーツとパーツを組み合わせようとしている。やはり人類のDNAには(以下略)。

さすがの我が子とは言え、ポッチャマを初見で組み立てるだけの叡智は持ち合わせていない。甲高い声で「これはクチバシかな〜」「こっちはドウタイだね〜」などと誘導し、案の定オレが組んでいるのか息子が組んでいるのかわからないフェーズに突入する。しかし「クチッシ〜?」「ドタイ〜?」と即座に初見のフレーズが復唱できることにいちいち感じ入るし、なによりも「むぎゅーってして!」と言うとパーツ同士をハメ合わせることに度肝を抜かれる。我が子は天才モデラーなのである。ではなくて、ポケプラクイック!!シリーズにおける嵌合(ハメ合わせ)の渋み、トルクの設定が絶妙なのだ。非力な子供でも組めるすげーなバンダイスピリッツ。マスターグレードとかもこんくらい緩いと仮組みとか楽だよな。悪い大人の思想だけど。

最後に画竜点睛、「おめめのしーる」である。ここだけは親がフィニッシュすべきかと身構えていたのだが、「どっちが上かな?」というフレーズだけで息子は瞳の上下を識別し、わずか1mm程度の誤差で貼り位置を検出し、ポッチャマの愛くるしい双眸を顕現させた。やはり天才なのか。
誕生日プレゼントにもらった都バスのおもちゃにポッチャマを近づけ、なにやらむにゃむにゃとおままごとが始まる。モデラーとしての英才教育をするつもりはない。でもこうして自然にプラモデルがある家に暮らして、それを組みたいと思ってくれて、自分で組んだらそれをお友達と認識して遊んでくれるというのは、すごくいいなと思った。