みんなで作る模型サイト nippperはあなたの投稿をお待ちしています!
詳しくはコチラ!

彼女を家に招いた理由/chitocerium VI-carbonia adamas

 小さい子供に「モノを大事にしようね。モノが泣いてるよ~」なんて言って躾けたりするものだが、小さい頃から何となく、モノに命とまではいかないが心くらいはあるんじゃないかと思っていた。だから『トイストーリー』はお気に入りの映画だったし、大人になっていろんなことを知ったとしても何となく、モノには心があるという感覚は抜けきらない。特にぬいぐるみとかフィギュアみたいな顔のあるものは苦手で、家に置くのがためらわれる。こっちを見ている気がするからだろうか。それに自分より小さいものはなんだか儚い。形あるものは必ず壊れるという儚さ。そこがこういうおもちゃの魅力でもあるのだが。

 今プラモデル業界で一大ジャンルの美少女プラモデル。その中にチトセリウムというシリーズがある。ゴシックな雰囲気とドールライクなビジュアルが魅力的なシリーズだが、その中の一つがなぜかここにある。箱や説明書の表紙には1/1と書いてあり、完成したら手のひらに収まるサイズ感が彼女たちのリアルスケールであることを示している……ウン。

 ランナーの中にはこれは手だろうなとかお尻だろうなと思うようなものもあればこれはどこの部分?と思うようなものもあり、女の子をバラバラにして枠に収めるというプラモデル特有の狂気がそこにはある。これを今から自分が組み立てるのか……ウウッ。

 細かな造形をしている割にはサクサク組み上がっていくので、つい何かしてしまいたくなる。白いパーツの部分が綺麗なのでラップにつけた塗料を乗せてマーブル模様をつけてみた。あーこういうことをしてしまうと愛着が湧いてしまう。

 完成したチトセリウムを眺めてみる。顔のタンポ印刷がすごく綺麗で精密な雰囲気は本当に細工の凝ったドールという感じがするし、なんだか有機的な感じさえする。何より肩甲骨周りや腰回りの関節のつき方から繰り出される動きはまさに人間的で、すごく自然で感情を感じさせるような演技をする。そしてこの可動が最も活用されるのが、「箱」なのだ。そう、この娘たちは最終的に箱に収めることが出来る。

 箱に収めてしまえば顔を観ることもないし、この小さな箱に人型が収まっていることなど一見すると想像できない。フィギュアを置くのに躊躇する僕にも安心だ。……と思いきや、彼女たちを組み立てて小さな箱に収めたのはまごうことなき僕なので、箱を見るたびにそれを思い出す。家に遊びに来た友人はあのオシャレな箱に何が入っているのか知る由もないが、僕だけは知っている。なぜなら自分が組み立てたからだという、プラモデル特有の秘密の共有性が心に刺さる。つらいね。とりあえず一人じゃ寂しいだろうからもう一つ買ってこようかなと思った。

もとぴのプロフィール

もとぴ

東京在住。世界を理解するための糸口としてプラモデルを制作中。趣味の記録や思索のためにnoteも書いています。

関連記事