みんなで作る模型サイト nippperはあなたの投稿をお待ちしています!
詳しくはコチラ!

エヴァンゲリオンは、宇部の海底からやってきたのかもしれない/プラモの出てこないリアルロボット談義

 消波ブロックはどこまでも規則正しく、波が押し寄せるのを強固に阻んでいた。宇部新川から東京へ帰る日はホテルをチェックアウトして、帰りの飛行機まで少し時間があった。宇部線常盤駅を降りて坂道を下ると、海水浴場でもなければ憩いの場でもない、なんともぶっきらぼうな(つまりなんだか生き物を育んでいるような様子が全然感じられない)海があった。とっても頭の悪い言い方をするなら、ここでもオレはエヴァンゲリオンの匂いを嗅いでいた。

 常磐駅に来たのは、近くにある「ときわ公園」の植物園が気になったからだ。植物園はさまざまな種類の植物が生育する環境を密封したミニチュアだから、なんだか模型的で好きなのだ。公園までの道すがら、道端に立った歴史解説の看板に導かれるように竹林に迷い込む。

 ときわ公園の中心を占める常磐湖は人造湖であり、南北に約1.8キロメートル、東西に約1.3キロメートルと山口県最大の面積を誇る。1695年、積極的に田畑の開作政策に注力していた宇部領主の福原広俊が農民からの訴えを聞き入れてに常盤湖の築堤に着手。1700年前後に溜水、用水路工事、検地等関連作業を推進した結果、300ヘクタール以上の水田を灌漑できるようになり、宇部の飛躍的な発展に寄与したのだという。

 宇部興産のコンビナートから離れてこんどは豊かな自然と戯れるつもりが、またも人間の努力と根性で大規模な作戦が展開され、それがいまの宇部の街を作り出していたのを知ることになった。

 ほどなくして到着したときわ公園の植物園は素敵だった。人造湖のまわりには彫刻が無数に展示されていて、それらと真面目に向き合うのは久々の感覚だった。彫刻が周囲の景色を歪めるようなアングルを探して歩き回り、不思議な写真をたくさん撮る。

 カメラを持ってウロウロしながら、「そういえば入口近くに展望台があったけど、あまり人のいない公園の展望台にわざわざ登る必要なんてあるかな」と思っていた。少し時間に余裕を持って帰れればそれでいいや、と展望台の方角に向かって歩き、空港までのバスがあるかどうかをスマホで検索する。すると、登るつもりのなかった展望台のふもとに、D51の18号機がいた。「ずいぶん傾いた土地に置くもんだな」と驚いたのだが、解説を読むとこれはD51が登った最大傾斜、25パーミル(1000m進むと25m上昇する勾配)を再現しているらしい。

 高度経済成長期、エネルギー源が石炭から安価で安定的に供給可能な石油へと転換していった。海底炭鉱の街だった宇部市では昭和42年にすべての炭鉱が閉山を余儀なくされ、その2年後に石炭産業の功績を記念した施設が建設された。記念館の上にそびえる展望台は海底炭鉱へと鉱夫を送り込む立坑櫓(海上から垂直に降りるエレベーターの櫓)を移設したもので、つまり展望台と蒸気機関車は「かつて栄華を誇った石炭の街としての宇部」を象徴するものだった。先に見ていた宇部興産はもともと炭鉱事業を中核とした企業の複合体だったが、エネルギー革命を経て現在の大手総合化学メーカーへと変貌したのだ……ということをここで知る。

 記念館の内部はすべて撮影禁止だったが、海底炭鉱の仕組みとその歴史は壮絶だ。海岸手前から海底に向かって斜めに数キロも伸びる穴を掘り、深さ200mまで行くと、そこには石炭の巨大な層があるのだという(これもまた、さまざまな模型を見たり実物大のセットを実際に歩くことで体感できる)。坑道の切羽に現れた真っ黒な壁から石炭をさまざまな方法で削り出し、機関車やケーブルカーのようなもので地上へと運び出す。ひとたび落盤や海水流入があれば、大量の犠牲者が出る。遺体の救出は困難であるから、事故があった坑道ごと破棄するほかない。

 「そんなのはどこの海底炭鉱も同じだ」と言えるかもしれないけれど、宇部新川のコンビナート郡にそびえ立つ恐ろしいほど大きな塔と、その先に見えた海の底で繰り広げられた死闘が一本の線でつながっていることに、私は奇妙な納得を覚えていた。巨大な工場群の向こうにエヴァンゲリオンを探しに行ったら、美しい人造湖の傍らからジオフロントへと続くトンネルがぽっかりと口を開けていたようなものだ。

 野外保存されている坑内用ディーゼル機関車は錆止めのために何度も分厚くペンキを塗られ、そのディテールのカドはことごとく丸まっている。遊具のような配色だが、この頃にはもう青緑に「宇部らしさ」を感じるようになっていた。かつて海底深くまで強烈な勾配を走り人間と石炭をせっせと運んでいた列車を眺めてから、満を持して展望台を昇る。エレベーターは宇部を一望するために空へと上昇する愉快な手段であると同時に、暗く深い炭鉱から海面に這い上がる鉱夫の過酷な体験を再生する装置でもあった。

 展望台には幸い誰もおらず、遠く宇部興産のコンビナートを一望できた。リアルロボットを探しに宇部へ行き、向上の風景に息を呑み、そこを行き交う巨大なマシンと息づくコンビナートの施設群に肝を潰す。庵野秀明が描く壮絶な規模感と、それを可能にする人類への漠然とした(しかし確かな)信頼感。江戸時代に作られた人造湖のほとりで、海底の薄暗い坑道からこうした物語を俯瞰することになろうとは、オレも思っていなかった。

 もしあなたが宇部新川に行ってその歴史を辿りたければ、ぜひともときわ公園に赴いてほしい。もちろんそこにリアルロボットはいないが、それが成立する条件と背後に見える景色の解像度は、ぐっと上がるはずだ。

からぱたのプロフィール

からぱた/nippper.com 編集長

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。

関連記事