
冷たい空気で肺が痛い。時間にも本数にも余裕のあるバスに乗ればなんの苦労もないことを知っていても、私は空港から鉄道駅までの600mを走ることを選んだ。山口宇部空港の到着ロビーから草江駅まで全力疾走し、狙っていた宇部線の車両にようよう腰を落ち着ける。そこからたった10分で、列車は宇部新川駅に着いた。ホームに降りて、なんでもない顔をしながら、内心私は興奮していた。宇部新川には、こうして鉄道でやってきて、ホームに降り立つ必要があったのだ。

1月、新型コロナウイルスのせいで貯まりに貯まったマイルは有効期限を間近に控え、端から溶け去っていこうとしていた。それを使うなら、まだ行ったことのないところ、全然予測のつかないところが良かった。知識不足のせいでめぼしい観光スポットも思いつかない宇部。お気付きのとおり『シン・エヴァンゲリオン』のラストシーンで登場した土地で、他でもない庵野秀明の出身地である。そこになんの用事もなく訪れてあてどなくプラプラすれば、もしかしたら庵野秀明の「リアルロボットに対する憧憬」の糸口が掴めるかもしれない、と思ったのだ。
……というのを帰ってきてから友達に話し、「で、宇部にはなにがあるの?」と聞かれたけど、じつのところ宇部新川の街にエヴァンゲリオンの像はないし、グッズを売る店もないし、あるのはちょっと古めのエヴァのパチンコ台だけだった。いま唯一それっぽい「証」を得ようとしたら、駅を出るときにきっぷに捺してもらえる初号機のスタンプだけだ。「じゃあ、そのスタンプを捺してもらったのね」と友達はニコニコするけど、スタンプを捺した瞬間に宇部新川が「碇シンジのいない街」になってしまうじゃないか、と抗弁した。

かつては相当な賑わいを見せていたであろう居酒屋通りをひとりで歩く。きっぷにスタンプを捺さなかったから、もしかしたらここはエヴァンゲリオンの世界なのかもしれなかった。リアルな街を、アンリアルなまま歩けるのだ。そのアンリアルというのはつまり、エヴァンゲリオンの世界のリアルだ。完全にひとりぼっちで、まったく知らない街だから、角を曲がったところでばったり碇シンジに会うかもしれない。そういう可能性をずっと感じながら歩く宇部新川は、静かな興奮に満ちていた。似たようなことを考えて、カメラをぶら下げて歩いている人にも全く会わなかった。

目星をつけてフラッと入った居酒屋は、座敷が3卓にカウンターの適度な広さだった。とりあえずのビールと、簡単なツマミ。そしてタイミングを見計らった大将が、誰にでもそうするように尋ねてくる。
「どこから来られたんですか」「東京からです」「なんでまた、宇部新川に」「いや、とくに」
エヴァンゲリオン目当てですか、と聴かれなかったことにちょっと安堵しながら地魚の刺身を頼む。べらぼうに美味い。それから日本酒。これまたべらぼうにうまい。後ろの座敷から漏れ聞こえてくる地元の人のなんてことはない会話と、有線から流れる歌謡曲。
私はその環境に、なんでもない顔をしながらまたもや興奮していた。「ああ、これぞエヴァンゲリオンで見た景色だ!」と。いつなんどき、入り口の戸がガラリと開いて真希波マリ・イラストリアスが調子よく入ってくるかもしれない、その可能性を肴に日本酒を何杯も飲んだ。

頭の中にずっと「リアルってなんだ」というお題を置いて旅をする。アニメと現実がどの糸でつながっているのかを手繰り寄せながら、フラフラと歩く。きっぷに初号機のスタンプを捺されていたらその糸はぷつんと切られ、この階段もたんなる「聖地」になっていたかもしれない。でも私は捺してもらわなかったから、この階段は聖地にならず、ついさっきシンジとマリが駆け上がっていったことにもできて、私もその世界の一員として振る舞うことを楽しんだ。このときはまだ、宇部新川からエヴァンゲリオンが生まれたことの本当の意味はわかっていなかったのだけれど。