仏像のプラモ、組むのは面白いし出来上がるとカッコいい。プラスチックの色は濃紺なので組んでそのまま置いといてもまあ嫌な感じはしない。とはいえ、なにか自分なりに手を入れたものになっていてほしいという贅沢な気持ちもある。寺にあるような古色蒼然としたものや、本来そうであっただろう極彩色でもいいだろうけど、それはあまりにも模型的で、仏像を自分で組み立てるというどことなく畏れ多い体験とはちょっとマッチしないなと思ったりする。
同じシリーズの持国天が深緑のプラスチックだったので、多聞天がなんともいえないネイビーで成形されているのには正直面食らった。四天王像なので、同じ色で並ぶだろうと思っていたのだ。このまま行くと、たぶん4つとも色違いで発売されるのだろう。
さて、このプラモをどうしたもんかな……と脳の片隅で考えながら、クリスマスに金沢へと旅行に出かけた。目的はあまりなかったのだけど、ホテルにチェックインするなりベタに金沢21世紀美術館へと向かい、そこで後頭部を鈍器で殴られるような衝撃を受けた。調べもせずに行った企画展、『時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの』が圧倒的に良かったのだ。
モノクロニスムの旗手として活躍し、夭折したフランスの画家、イヴ・クライン。彼は青を「宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色」と位置づけ、わざわざ「インターナショナル・クライン・ブルー」という顔料を開発させ、それでカンバスや樹脂製のヒトガタを塗りつぶしたりした。挙げ句「顔料そのものが純粋に存在しているのがいちばんアツい」と考え、床に顔料を敷き詰めた状態を至高の美とした。そしてそれらは確かに美しかった。
帰宅して、多聞天の説明書の裏側に印刷された「組み上がった状態」が真っ青であったことに、なんか運命的なものを感じる。クラインは青と同じように金の持つ不思議な性質(精神性や象徴性)に興味を惹かれていた。どちらも仏教的だと感じるし、日本の文化にも通暁していたクラインならこのプラモをたぶん金と青に塗っただろう。
手持ちの青系の塗料にシアンとツヤ消し剤をたっぷり混ぜて、これでもかと厚塗りする。台座と持物(じもつ)はスーパーリッチゴールドでキラッキラに輝かせる。パーツを組み合わせて立たせ、ああこれは確かに宇宙的だなと感じ入る。金沢で買わなかったのに、金沢土産がそこに立ち現れたようで、思い出深いプラモデルになった。
模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。