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心に刺さったキラキラの棘は、ダッシュ1号エンペラー。

 何時間もかけて行った先で、さらに何時間も並んだ行列が、ちょうど自分の前で打ち切られました。

 1988年、時はミニ四駆第1次ブームの始まり。コロコロコミック派だった私は1つの情報を目にします。ミニ四駆日本一を決めるべく開催されるジャパンカップ、その会場でダッシュ1号 エンペラー(皇帝)の限定先行販売が行われるというのです。

 『ダッシュ!四駆郎』の中で主人公・四駆郎の相棒として活躍するエンペラー。憧れのマシンを自分のものにできるなんて。母親に泣きつき、その時までに夏休みの宿題を終えていたら連れて行ってあげるという約束を取りつけ、8月10日、自宅から3時間ほどかけ、静岡県浜松市の会場に辿り着きました。思えば人生で唯一、夏休みの宿題を始業式まで持ち越さなかった年となりました。

 あのかっこいいエンペラーがついに手に入るとわくわくしていた私を待っていたのは、先に述べた通り、ちょうど私の前で売り切れになるという結末でした。

 それ以来、私がエンペラーを買うことはありませんでした。

▲心のスキマを埋めたのは、『ダッシュ!四駆郎』放映20周年記念で発売されたニューバランスM574Jのコラボモデル。


 その後、あのマシンを見るたびに感じる棘のようなものから逃げるべく、ワイルドザウルスをホッケースティックでたたきながら走ったり、アバンテを買ってもらえて大喜びしたり、ライジングバードの赤いシャーシに感動したりした私のミニ四駆生活は、90年、ダッシュ0号ホライゾン(地平)を買ったあたりで終了したように覚えています。

 20年振りにプラモデルに復帰してからも、売り場でエンペラーを見ると当時のキラキラした気持ちとあの時刺さった棘を同時に感じていました。ただ、あの時から30年を経た私は、自分の機嫌の取り方を覚え、そして手の中にはあの頃よりはるかに進歩したプラモ作りの道具があります。

 思い切って、シャーシは違えど、今でも売っているスパイクタイヤのエンペラーを手に取ってみました。30年越しにリベンジしてやろうと思うのです。あの時、浜松西武の前で人目も憚らず大泣きしていた小学生の俺よ、お前は30年後にエンペラーを棚に飾って娘に自慢するぞと言ってやるのです。「お前が嫌いなふりをしていたエンペラーはこんなにかっこいいのだ」と叫んでやるのです。

 そうやって自分に刺さっているキラキラの棘を引き抜いて箱にしまうとき、きっとまた気が付くのです。祖母にこっそりお小遣いをもらって買ったけど上手く作れなかったギャプランが、組み上がって走らせようとしたら車輪が吹っ飛んだD51が、初めてのスプレーでかっこよく塗れたボディに窓を接着したら真っ白く曇ったフェーラリF40が、兄とお小遣いを出し合ったはずなのに全然触らせてもらえなかった1/60 Zガンダムが。まだまだいっぱい刺さっているキラキラがあるのだと。そんなたくさんのキラキラした棘を、ひとつずつ引き抜いていきたいものです。

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いち

16の頃に別れたプラモデルと36で再会した82年生まれ。

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