夕飯を食べ終えて、柿ピーをアテにビールで晩酌……。そういうテンションでプラモに向き合えると、案外楽しい。というか、最近はダイニングテーブルでさらっと組み上げられるのが嬉しいなと思うようになった。一日の締めくくりに、秩序のある小さな充足感を味わえる。たとえば1/35の兵隊フィギュアは、人型のものがカタチになるから「完成」の満足感をしっかりと受け止められるのがいい。
ニッパーでパーツを切る。カチンと音がして、鋭い断面が生まれる。アルファベットと数字を探しているのはひたすら受動的な時間だから、一日ヒートアップしていた脳を少しだけ休ませることができる。こういう作業って、やったことがない人からするとめんどくさそうに見えるかもしれないのだけど、わりと「癒し」に近い。
パーツとパーツを指で挟んだら、合わせ目に「タミヤセメント(流し込みタイプ)速乾」をごく少量、チョンと置く。見えない隙間に接着剤が流れ込んでいって、5秒だけその姿勢で待つ。何かと何かが接着されるのは、いつまで経っても不思議だし、少し嬉しい。思いもよらぬ角度でパーツが合わさり、抽象的でバラバラだった彫刻が、ひとつの意味を持ち始めるのはほとんど魔法である。
平らな面同士を貼り合わせるのだけがプラモじゃない。たとえばこんな不思議なラインで分割された上半身と下半身が、一分の隙もなくカッチリと組み合わさり、先程と同じように流し込み接着剤でピタリとくっつく。この感覚は、プラモを作ってる人だけが知っているスペシャルなものだ。
昔のプラモだったら人間は人間、装備品は装備品と分かれていたし、人間に装備品を取り付けたければ接着剤で「ここかな?」と目見当で貼り付け、長い乾燥時間を待っていたものだ。だけどイマドキのプラモはちゃんと体の側が装備品のカタチに彫られていて、服の柔らかさと硬質な装備品が密着している様子を楽しめる。この丸いものはガスマスクケースだが、側面に入れられたギザギザが背中にカチリとはまるところなど、最新のデジタル設計/製造技術の賜物と言って良い。
ひとりの兵士が組み上がった。左足の靴底、右足の膝とつま先、そして尻にぶら下げたスコップのハンドルがビシッとひとつの平面(つまり、地面だ)にくっつく。自分で調整しなくても、あるべきところに、あるべきものが来る。見えない誰かに手を引かれながら歩き、気持ちの良い高原に立つような清々しさがある。
「プラモ作り」と言うとなんだか構えてしまうかもしれないけれど、例えば道具はこれだけ用意すれば机が汚れることもないし、ひとつのカタチを作り上げて愛でることができる。案外コンパクトでしょ?
最後に好きな色をひとつ決めて、スプレーを吹き付けるのも楽しい。深い彫刻、大きさを見間違えるようなリアルなシワと精緻な装備品。金色に輝くと、まるで工芸品のように見えてくる。シルバーやゴールドのアクセサリーに囲まれたって、負けない存在感が小さな宇宙に閉じ込められている。
夕食のあとに兵士を組んで、手もとに大事に取っておく。ミニマルだけど、かけがえのない時間だ。
模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。