コーチェラ・フェスティバルの中継をYouTubeで眺めながらプラモを作る。音楽フェスは映画と違って耳だけでも楽しめるし、たまに画面をチラっと見て「ああ、カリフォルニアはいまサンセットなんだな」くらいの注意力で追いかけられるのが良い。反対に、プラモに全集中してしまうと他のことにほとんど気が配れない。色を塗ったり切ったり削ったり貼ったり……やることが多ければ多いほど脳のリソースを大量に使う。CPUの使用率はいつも真っ赤だ。
色も塗らずにただカタチを見るためにプラモをドンドコ組んでいくのは、そこまで集中力を必要としない。たまに小さくて気を使うパーツに出会うとその瞬間は音楽が耳に入らなくなるけど、常に注視して次にやることを考える必要はない気がする。音楽フェスの中継と、ただ説明書に従ってプラモを貼っていくのはそういう意味で、フィフティ・フィフティの集中力がバランスする。
宇多田ヒカルの素晴らしい歌唱があって、ディスクロージャーの筆舌に尽くしがたいDJを聴いて(おそらくここ10年で見たDJセットのなかでも5本の指に入るカッコよさだった)、ふと気がつくと手許のプラモは説明書の終わりに到達していた。
飛行機はいつだって、最初に塗るか塗らないか決めなきゃいけないのがちょっとストレスだ。戦車模型は組み上がってからでも塗れるけど、飛行機はコクピットを塗らないと始まらない。コクピットを塗るとなんだか全体を塗り上げないと心変わりしたようで座りが悪いし、最初からコクピットを塗らないぜヘヘーイというのもまあまあ決心が必要。そういう意味では、「はい私はいまから音楽フェスの中継(ないしライブのBD)を見ます」と決めればプラモをただカタチにするのもなかなかいいお茶請けではなかろうか。
いや、飛行機だって組んだ後から塗ったっていいのかもな……と筆を出してきて窓枠を黒く塗ってみる。その昔、やたらと飛行機模型の上手なムサビ出身の先輩に「なんでフリーハンドで窓枠がそんなにホイホイ塗れるんですか」と尋ねると「キミねえ、幅1mmの線を5cmまっすぐ描けっつったらそれは無理でしょう。だけど2mmの直線、3mmの直線ならなんとか描けるってわけですよ。その短い線を繋いでいけばね、なんだって描けますよぉ」と無茶苦茶なことを言われた。
いざやってみると、実際そんなもんなのかもしれない。「組むだけ遊び」に少しだけ感じていた罪悪感みたいなものが、また一歩遠ざかった。いつ組んでもいいし、いつ塗ってもいい。遊びが練習になったり、練習が遊びになったり、その入れ替え可能な気ままさの正体こそ、「気軽さと奥深さを兼ね備えたプラモデルの不思議な性質」なのだと思う。
模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。