帰り道にHIP HOPを聴いてたら急に頭の中に『A Tribe Called Quest』の一度見たら忘れられない赤緑黒のペイントが施された人間の姿が蘇った。結構パンチの効いたトラックでも、真っ暗な海の中で語りかけられているような深みのある音楽性と、あの3色の人間の組み合わせは高校生の頃に聞いてから深く関連づけられ記憶に残っている。あの姿、あの音楽。そして部屋には未塗装の内藤哲也が待っている。
内藤哲也のプラモは2種類のポーズがあるが、決めポーズの方がめちゃくちゃかっこいい。私は特撮をほとんど見ないまま育ったが、ヒーローがポーズを取る理由というものがよくわかった。強さをアピールする男の姿勢は生命の叫びのような原始的な魅力。
真っ黒に塗られた内藤哲也はその叫びをより明らかに司る何かになった。朝青龍をモデルに仁王像を作ったという話を聞いたことがあるが、その気持ちが少しわかる。私は真っ黒に人を塗りつぶすことでようやく人体のスタイルがはっきりとわかるようになったが、彫刻家や画家などはそんなことをしなくても彼らの目で魅力をはっきりと理解したのだろうか。
大槻藍子という高校生の書道部員はかつて平安時代の書を前にして「もし完全にこれを臨書することができたのならそれは遥か昔の人と同じ動きをしたことになるわけで、それってすごいことじゃないか?」と嬉しそうに話していて、とても魅力的に写った。そんなことを考えながら書道をやっているのか、見えている世界はそういうものなのかと。
A Tribe Called Questのアートワークを見ながら真っ黒な内藤哲也に赤と緑の線を塗り込んでいくことはまさに大槻藍子の言っていることそのものだった。
人体に塗装を施すというのはこういうことなのか。美しい曲面を横断するストライプは身体の生命力をより強くする。やっぱり叫びのようなものを感じる。身体中に模様を描く、先住民だとか部族と呼ばれる人たちの気持ちがよくわかる。とても魅力的だ。
こんな風に自分が塗られたらきっと、人格が変わっちゃう。月曜日、これで出社したい。人間のプラモを塗るというのは、何をやってもドキドキするが、今回は刺激がダイレクトすぎた。カルピスやかき氷のシロップやコーラの原液みたいなものを飲んでいる感じで作っててクラクラした。
1987年生まれ。デザインやったり広報やったり、店長やったりして、今は普通のサラリーマン。革靴や時計など、細かく手の込んだモノが好き。部屋に模型がなんとなく飾ってある生活を日々楽しんでいます。
Re:11colorsというブログもやっています。