プラモデルが贈ってくれた、旅の解像度と心の余裕。

 突如として、義母が写真趣味にハマった。カメラとレンズを矢継ぎ早に買っては日常を撮影し、SNSでシェアして見知らぬ人とコミュニケーションを取っているらしい。巧拙問わず、いろんな人の写真がいろんな言葉とともに流れてくるSNSで、情報の洪水を浴びながら「次はあんなレンズを試してみたい」とか「こういう写真を撮ってみたい」といった欲に従ってアクティブになるのはきっといいことだろうと思う。

 還暦祝いをしに義母のもとを訪れるというのを口実に、自分はSIGMAの18-50mm F2.8 DC DN | Contemporaryというレンズを買った。コンパクトで明るいズームレンズは家で模型撮影をしているとつくづく縁がない。散歩や旅のために買ったカメラと相性が良く、切れ味鋭いこのレンズは強制的に小湊鉄道を撮影する旅へと駆り出されることになった。

 6年前に友達と訪れた上総中野駅に、家族一同で再訪。小湊鉄道のキハ200形は変わらずガラガラと音を立てていたが、自分の心境は大きく違っていた。当時は「古びたディーゼルカーがこんなところにあるもんなんだな」くらいの感想しか出てこなかったのだが、いまでは二両編成で運用される前後の車輌でほんの少しだけ違うディテールが目に飛び込んでくる。

 車体に入れられた番号を見るより早く、窓枠のカタチ、ドアのプレスラインの有無が勝手に認識されて、口にこそ出さないが「コイツは窓枠が非ユニットサッシでドアが非プレスなので1970年製造」なんつー話がスルスルと引き出しから出てくるようになっているではないか。

 それもこれも、自分がこの車輌のプラモデルを組んで、説明書をしこたま読んで、ひとつひとつのパーツを吟味しながら組み付けたおかげである。ついでに、「こんなふうに塗装が剥げるのか」とか「下回りはこんな色で汚れるんだな」みたいなことがカメラに冷静さをもって収められていく。

 いやはや、プラモデルというのはやっぱりカタチを覚えるのにもっとも効果的な手段なのかもしれない……などと思っていると、義母はさっさとお目当ての写真(おそらく「こういうのが撮りたい」というのが大雑把にあるのだろう)を撮影するとすぐにクルマに乗り込み、次の目的地へと急ごうとしている。

 ただ乗るだけだった小湊鐵道も、いざクルマでそれを追いかけながらの撮影行となれば見え方もまったく変わる。無人の駅舎、使われなくなった待避線、木々の洞窟から飛び出てくると待ち受ける遮断器のない小さな踏切……。鉄道模型単体として見ていたPLUMのキハ200形も、しかるべき景色のなかに置けばさぞイキイキとした表情を魅せるだろうな……と感じるとともに、それがかなり狭い範囲で切り取られた情景でも成立しそうだぞ、なんて皮算用もむくむくと盛り上がってくる。

 忙しない撮影行だったが、被写体や景色と優しい気持ちで向き合うことができた。友達との記憶の隣に、新たな家族との記憶がそっと足された。そして小湊鐵道は確実に自分のなかでひとつ大きな存在となって、家に帰った私は完成したまましまい込んでいたキハ200形のプラモを自宅の片隅にちょこんと飾ることにしたのだった。

<a href="/author/kalapattar/">からぱた</a>
からぱた

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』http://wivern.exblog.jp の中の人。