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田宮俊作が愛したカメラを買った話/ニッカ3S with NIKKOR-H・C 5cm F2

 私にクラシックカメラの趣味はない。しかし、いま私の机の上には70年以上前に作られた動かないカメラがある。理由は単純、モデルグラフィックス2025年11月号の巻頭広告を見てしまったからだ。「地道な取材と考証はこれからも」というキャッチコピーの下には、田宮俊作の名をいっさい出さず、この世を去った彼の仕事とこれからのタミヤのことが滔々と書かれている。正直、今号の「本体」はこの広告そのものだと言っていいと思った。田宮俊作がさまざまな土地で取材をしている風景を写したスナップの真ん中に、氏の愛機が置いてある。ぱっと見はライカだが、よく見るとそこに刻まれているのは“nicca”の銘。私は同じ機種、同じレンズのセットを探し、ヤフオクで落札した。

 ライカの祖型を設計したのはオスカー・バルナックであり、彼の名を冠して初期の小型ライカは「バルナック型」と呼ばれる。映画用の35ミリフィルムを写真に転用する小型の金属カメラは、現在に続くカメラの原型となり、20世紀の記録様式を変えてしまった。戦中から日本のカメラメーカーは軍需や報道用途のためにバルナック・ライカの精巧なコピーを作り、戦後は民間向けに改良と精度向上に血道を上げた。結果として日本の光学技術と生産精度は本家にも引けを取らぬ評価を勝ち取り、(一眼レフの設計製造に舵を切るという大きな転換点を経て)日本のカメラが世界におけるトップシェアを築く礎となった。

 1952年に発売されたニッカ3Sを田宮俊作が愛用していたという事実は、まるでタミヤの歴史を語っているかのようでとても興味深い。彼が育て上げたタミヤのプラスチックモデルもまた、海外の製品を模倣するところから始まった。アメリカで流行していたスロットカーを参考にしながら改良を重ね、やがて戦車模型や自動車模型で独自のリアリティを獲得し、世界に冠たるブランドへと成長させていった。彼はニッカ3Sを携えて海を渡り、戦車を撮り、航空機を撮り、生産ラインを見学し、図面を引いて金型を彫った。このカメラのシャッターを切るたびに記録されたのは、つまり日本の模型の未来だったのである。

 私が手に入れた個体はフィルムを装填する以前の問題だと明らかにわかるほどシャッターの調子が悪く、前オーナーの整備はスプリングにテンションをかけすぎだと感じた。同時に後幕を引き込むリボンは経年劣化によって切れる運命にあったのだろう。分解しながらガバナーの動きを確かめ、なんどか空シャッターを切っているうちに後幕は走らなくなってしまった。
 幸いなことに、このカメラの構造は精緻でありながらごくシンプルなもので、メンテナンスについての記録も、プロフェッショナルによる修理サービスも簡単に見つかる。私はいつかこのカメラを復活させ、乾いたシャッター音を聞くことになるだろう。バルナックの偉大なる発明から始まった小型カメラの物語が、惚れ惚れするほど精巧な”模型”であるニッカ3Sを通じて、タミヤの歩んできた軌跡と響き合う。この重層的な技術史と文化史のクロスポイントは、模型を愛する者にとって特別な重みを持っているはずだ。

からぱたのプロフィール

からぱた/nippper.com 編集長

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。

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