よくプラモデルはニッチな趣味だなんて言われるけど、そのなかでも人工衛星のプラモなんてニッチ中のニッチだと思うはず。だけど、たとえばプラモが世界中の文物を収蔵した博物館みたいなものだと仮定して、「人類の歴史」という展示を考えたとき、スプートニク(ソ連が打ち上げた人類初の人工衛星)はニッチな収蔵品だろうか?
むしろ、「ないとおかしいモノ」なのではないか。スペースシャトル、ある。アポロ11号、ある。ミールも国際宇宙ステーションも、ハッブル望遠鏡もプラモデルになっている。でも、スプートニクそのもののプラモデルは、なかった。理由は?
ハコを開けてキリル文字と英語の入り混じった説明書を熟読し、恐る恐る金属の薄板や細いパイプをつまんで眺め、ふぅと息を吐いてグレーのパーツをニッパーで切り離す。
正直、そんなにシャープな彫刻ではないし、これからエキサイティングなこと(たとえばそれが獰猛なスポーツカーのカタチになったり、空気を切り裂く飛行機のカタチに変化したりするプラモのダイナミックな体験)が起きる予感はほとんどない。ツルツルの金属製ボール、その表面に入れられたほんの少しのディテールを再現する小さなパーツたち。なによりも大きな展示用の台座。
プラスチックと真鍮のパーツが組み合わさって、スプートニクのカタチになる。まるっと銀を塗れば完成だけど、史上初の人工衛星が史上初のプラモになったということは、この状態じゃないとわからない。グレーのプラスチックを、オレが切り出して、オレが接着剤で貼ったのだ。なんて屁理屈を考えながら、銀の塗料をスッと吹き付ける。スプートニクがプラモデルになったんだということを、こっそりと自分だけの秘密にする。
ひどく少ないパーツ数で、単純なカタチを作って、ただ銀色にツルッと塗るだけのプラモデル。これはニッチでバカげたプロダクトだろうか?
とんでもない。これを作る人はみな、難しい工作をしたいのでもなく、複雑で重層的な塗装をしたいのでもなく、ただシンプルに、このカタチを手に入れることによって人類の偉業を讃えているのだ。そう、プラモは人間の営みを指先で称賛する遊び。だからこそ、世界のあらゆるモノがプラモデルにならなければいけないと思うのだ。
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模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。