締切のあるプラモをどうしてもひとつ終わらせなければいけなくて、しかしこれがなかなか難しい。ピシッとキレイに仕上げなければいけないタイプの模型なのだが、製作の最終盤に差し掛かって集中力がどうしても求められる局面。ミスを連発して「これはキットをもうひとつ調達してこなければ終わらないぞ」という泥仕合の様相を呈している。
こうなりゃヤケ酒だ!となりそうなところをぐっとこらえて(昨日もしこたま飲んだ)、在庫しているプラモたちの山を探検する。プラモで疲れた心と身体を、プラモに癒やしてもらうのだ。
棚には少し歯ごたえのあるものから、小粒なものまでずらりとあるが、いま出来の良いものを適当に組んでしまうのはちょっと違う。すぐにカタチになって、「ああ、できたぞ!」と思えるような軽くてサクッとしたもの……。

新しいキットはビシッとしていて、おのずと「ビシッと組むこと」が求められているような感じになるし、色のついていないプラモは塗らないと味気なく感じてしまうかもしれない。だから、なんとなく色がついてて見た目におもしろいのがいい。


54年前のプラモにディテールや合わせの良し悪しを言ってもしかたない。このプラモは「昔々、こんなプラモがあったんですよ」という復刻遊びだ。だから、そのプラモがそうであったとおり、なにも考えずに言われるがまま作る。すると、そこにはやっぱりシャーマンが出現するから、おもしろいのだ。いまも昔も、シャーマン戦車のプラモを組むとシャーマン戦車にしか見えないものができる。これをかっこよく汚し塗装すれば「おお、いいじゃん!」と褒められそうな感じすらする。

今日のプラモはここでおしまい。次にまた他のプラモを作っていて、なんだかうまくいかないとか、すごく疲れたときに、このフネの続きを組んだり、シャーマンにチラッと色を乗せたりして、甘えよう。毎日がゼロからだったり、毎日が昨日の深刻な作業の続きだったりすると、どうしたって嫌になる瞬間が来る。
気楽に会って、他愛もない話をする異性の友達のような、そんなプラモをいくつかストックしておくこと。そして、それをもったいぶらずにサッとカタチにしてしまうこと。そうすると、プラモの疲れをプラモで癒やすことができるのだ。