息子が生まれて100日が経った。まだ歯も生えてないのにメシを食うフリをする「お食い初め」という儀式は、いかにもオトナの考えたエゴイスティックな風習だなと考えていた。しかし、いざその日が迫ってくると親バカとはまた違った使命感(例えばかつて自分もそれをやってもらったらしいとか、あとでそれをやっていなかったことが息子や妻や私にとってなんらかの悔いを残す可能性がゼロではないかもしれない、とか)が沸いてきて、結局お食い初めに最低限必要なものが揃っているセットを注文した。
小さなプラスチックの食器に色とりどりの食材が少しずつ入っていて、スチレンボードで作られたお膳にきちっと配置された様相は正しく「料理の模型」であった。ここにある食材をひとつずつ買い揃えてうまく調理し、小さな漆器を揃えて見目麗しく盛り付けようとしたらとんでもない金額と労力が必要だろう。お食い初めがもともとは皇室や公家の儀式だったというのも頷けるし(もちろんこうした準備をつつがなくこなせる家庭も世の中にはあるのだろうけど)、こうしたミールキットが用意されていることに心の底から感謝した。
冷蔵庫で解凍するのに24時間ほどかかるというから、寝たり起きたり仕事したり子供の世話をしたりのあいだになにかひとつ、生まれて初めてとなる「息子のためのプラモデル」を組もうと思ってHGUCの百式を買った。金色だし、100日だし、このモビルスーツを生んだM・ナガノ博士の願いも息子に届けば万事めでたいというわけである。ただ組むだけでも良かったが、自分でひと手間加えたという手応えが欲しくてランナーのまま金色のスプレーを吹いて、ひと晩乾かしておいた。
シタデルカラーのマットなゴールドは重々しく、赤飯や蛤の吸い物や鯛の塩焼きや赤飯を調理し、歯固め石を餅の形の器に移して……というのを妻が遂行している傍らで百式が組み上がった。この祝い膳はある意味インスタントかもしれないが、きれいに配膳しようとか、(まだ本人は食べられないけど)ちゃんと温まっているといいなとか、鯛の皿は紙で隠れても金縁のものを選ぼうとか、親の真心のこもる余地は残されていた。
キットというのは予め用意されているからそのままでいい、というのがありがたい。同時に、予め用意されているからこそ「ひとつ手間を加えてあげた」というこちらの身勝手な満足が許されるのかもしれない……などとしみじみ思う。きわめてエゴイスティックだけど、いま息子にしてあげられることのほとんどは、そこから逃れられないのだから。
摂取できるものがいまのところミルクしかない息子は、何がなんだかわからないうちに鯛やら赤飯やらを口に運ばれながら、終始むっつりとした顔を見せていた。ときおり不規則に出すふにゃふにゃした笑顔の写真を何枚か撮ってから、我々は慌ただしく祝い膳を平らげ、いつもどおりの寝かしつけをしてクタクタの一日が終わる。
何もかもをイチから揃えて作り上げていく暇があればそれは素敵なことだろうと思うけど、祝い膳だって百式だって、だれかが用意してくれたキットがあるから隙を見てなんとかやっていけるし、そこに願いを込めることだってできる。キット万歳。オレたちは忙しいからこそ僅かな隙にどうにかしてプラモデルを作るのだし、そこになにか輝かしい痕跡を残したいと願うんだ。
模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。