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在りし日の蜜月に、かくして終止符は打たれた/amt 1977 フォード ピント

 それまでともに歩み続けてきた者どうし、ついに別れるときがやってきた。1977年、フォードはamtへの図面を含む公式実車資料の提供を止めたのだ。

 フォードとamtはそれまで、ファミリーといっていい深いつきあいを続けてきた。amtが初めて組立式のモダンなアメリカンカープラモを発表した1958年に先立って、フォードは来たる最新式のフェアレーンの図面をamtに提供し、この新しいクラフトホビーの誕生に正確さという華を添えた。フォードがなみなみならぬ決意で挑んだエドセルが「ご試乗くださったお客様には、ご令息に精密なミニチュア・エドセルをプレゼント!」と打って出たとき、amtはターコイズのミニチュアを不眠不休で生産しキャンペーンを支えた。フォード起死回生のマスタングが異例のタイミングでデビューを果たした1964年半ばも、amtは翌年のスケジュールが目前にせまる中、他に抜きん出て実車そっくりなミニチュアをみごと間に合わせた。

ホビコレ AMT 1/25 1977 フォード ピント (USPSスタンプシリーズ)

 1970年代という悪い時代がやってきて、日増しに世の中の経済状況がしぼんでいく中、焦りのにじむフォードが「マスタングの夢よもういちど」と願をかけてピント(スペイン語でペイントホース=「まだら駒」のこと。アメリカでは非常に好まれる)と名付けた小型経済車を世に送り出した際も、amtはきっちりと忠実なミニチュアをつくり、ワンダーポニー(驚異の小馬)と大書したデカールを添えて世に送り出した。明くる1971年も、72年も、73年も……ドルショックが世界を震わせても、オイルショックが全米を痛撃しても、フォードの表情からすっかり笑顔が消えてもなお、amtはフォードに寄り添い続けた。

 フォード・ピントのモデルイヤーは1980年まで続いたが、amtのピントは1977年をもってリリースを停止した。amtの1978年のカタログにはもはやフォードのニューイヤーモデルの姿はなく、モデルチェンジのめったにない大型トラックやそのニッチ、あとは従来製品の奇抜な焼き直しがページを埋めていた。amtはいつもカレンダーどおりにあらわれてつつみ隠さず頭をあずけてくれた常連客に突然去られ、腕の振るいどころの失った理髪師のようだった。腕に覚えの理髪師は、仕事のできをハサミよりむしろ鏡をつかって「これが貴方です」と示すものだ。

 amtの’77ピントはひとつの時代の終わりを象徴するカープラモであり、年ごとの新車を忠実に引き写して機を逃さずキット化する”アニュアル時代”の最末裔となった。以降のアメリカンカープラモは、よほど特別なケースを除いてミニチュアメーカーの独自取材にもとづく開発となり、そのノウハウはふたたび一から積み上げていかなくてはならなくなった。

 取材にかけられるコストは1960年代の活況を思えばまったく信じられないほどわずかで、そこには多くのミスが避けがたく入り込み、アメリカンカープラモの品質は忠実度の点で一時期はっきりと衰えた。そこを力強く乗り越えて今があるわけだが、その今を代表するラウンド2/amtがこのいわくあるピントをたびたび再販するのは、あきらかにこうした背景をふまえてのことだ。

 豊かだった時代を、誰もなかったことにはできないのである。

ホビコレ AMT 1/25 1977 フォード ピント (USPSスタンプシリーズ)

bantowblogのプロフィール

bantowblog

1972年生まれ。元トライスタージャパン/オリオンモデルズ、旧ビーバーコーポレーション勤務を経て、今はアメリカンカープラモの深淵にどっぷり。毎週土曜22時から「バントウスペース」をホスト中。

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