「なお今回、ドレスコードはありません」
そうか、ではとびきり上等の服をまとって出かけるとしよう。
世界中の人々が初めて体験する千年紀を10年後にひかえ、amtのパッケージ担当者はいつものようにスタジオで写真を撮っていた。被写体はすっかり組み上がった自社製のプラモデルであったから、難しいことは何もなかった。いつもの構図にいつものライティング、神経を使うのは埃くらいのもの。いつも通りにやりさえすれば、そこにあるアピールポイントはちゃんと写る。ちゃんと写ってさえいれば、力のこもった製品は消費者にきっと評価される。すべてはありのままに。
そう信じなければやっていられなかった。
>ホビコレ AMT 1/25 1994 フォード F-150 ライトニング・ピックアップ
全米でにわかに盛り上がった消費者運動は、プラモデルの世界においても決して対岸の火事では済まなかった。プラモデルはそもそもイメージを売るのが仕事のような世界で、基本的に箱のふたを開けたらそこに転がっているのは、金型から外されて枝もついたままの未組立部品そのもの。このせいで起こるボタンの掛け違いはいつだって悩みの種だった。欲しかったのはパッケージにあるようなかっこいい車だ、真っ白けでバラバラの部品なんかじゃない、ドライバーが入ってないじゃないか、なんだよこれ転がるだけで走らないの……そうしたトラブルを未然に解消する、というのが消費者団体の言い分だった。
「製品の内容を示すパッケージには、製品に含まれないものを描いていてはならない」と書面で突きつけられてしまっては是非もなし。かくしてamtがそれまでずっと自慢にしていた「箱絵」は姿を消し、パッケージはすべて写真のみとなった。バラバラの部品写真でなければだめだとまで言われなかっただけまし。
溜飲を下げた消費者団体は、その後プラモデルを買ってくれたわけではなかった。
1992年にフロントマスクをがらりと変えた本物のフォードF-150ピックアップトラックは、その精悍なイメージで市場を大いに沸かせたにもかかわらず、そのプラモデルの人気はもうひとつだった。アメリカ車のプラモデル人気が沸騰した1960年代とは打って変わり、消費の中心は熱心な愛好家に移っていた。彼らはかつてプラモデルのパッケージを彩る迫真のイラストレーションに心躍らせた元少年たちだっただけに、amtのコンプライアンスを重視した転向がひどく気に入らなかったのだ。そしてこの素晴らしいキットには、いかした箱絵が奢られることはついぞなかったのである。
内容の充実ぶりは熱狂の1960年代をはるかに凌ぎ、プラモデル専門誌をして「今が一番よい」と言わしめるほどだったから、愛好家はもちろん製品が出れば買い求めたし、それを組み立てて出来のよさに舌を巻いた。メーカーとしても自信作だったから、細かく仕様を変え、必要なら部品を追加し、見本をていねいに組み立てては写真を撮り、それをパッケージにあしらって毎年バリエーションを出した。amtのF-150は素晴らしい「モデル」だった。右を向いても左を向いても、できることがそれしかなかったとしても。
21世紀になって、かつてのばかばかしいコードはだいぶ鳴りを潜めた。amtのブランドを引き継いだラウンド2LLCは、賢くもF-150のリイシューを決めるに際して、その箱にまるでアクション映画のヒーローみたいなイラストレーションをあしらった。キットの来歴を知る者なら、以前は物言わずため息ばかりだった口でひゅーと口笛を吹いたに違いない。
造形のととのった男前は、スターにふさわしい姿で颯爽と登場すべきだ。どんな理屈がそれを否定しようと、そうあるべきだったのだ。
>ホビコレ AMT 1/25 1994 フォード F-150 ライトニング・ピックアップ
1972年生まれ。元トライスタージャパン/オリオンモデルズ、旧ビーバーコーポレーション勤務を経て、今はアメリカンカープラモの深淵にどっぷり。毎週土曜22時から「バントウスペース」をホスト中。