久しぶりにゆっくり故郷の福島県いわき市に帰った。1983年に生まれてから高校生まで、僕はこの町でサッカーとプラモに夢中な生活を送ってきた。そんなプラモ生活を支えてくれたのがいわき市の中心地・平にある「いいじまホビー」だ。
「ホビーのやかた」というパンチフレーズの通り、かつては1階から3階(もしかしたら4階だった頃も……)に渡って、プラモ、ラジコン、鉄道模型、トイガン、モデルガンなどオールジャンルで扱っていた。さらに隣の建物ではミニ四駆のコースとミニ四駆を製作できるスペースがあり、そこで大いに遊んだもんだ。僕と同世代のいわき人は、必ず1回は行ったことがあるんじゃないかと言える場所である。現在は1階のみの営業で、模型と工具を中心に販売している。
小学生の頃なんかは、僕が住んでいたいわき市南部の町「植田」から約400円の片道切符(いわき市は広い!! 同じ市内とは思えないほどの切符料金なのよ。家のお手伝いをして切符代を稼ぐのだ!!)で平のいいじまホビーに遊びに行くのは、本当にスペシャルなことだった。高校生になると平にある高校へと通っていたので、部活が休みの日なんかは、高校がある小高い山から坂を駆け降りてお店に直行したものだ。
5年ぶりくらいに訪れたお店でうろうろしていると、現在お店の顧問を務めているという今井様という方に「どんな模型を作るんですか?」と声をかけられた。僕自身お会いするのが初めてなもので、簡単な自己紹介を終えた後、ちょっとお店のことを聞いてみたくなった。すると今井様の口から、
「先生(飯島 登司氏。いいじまホビーの創業者)はね、戦時中川西航空機(かつて日本にあった航空機メーカーで現在の新明和工業の前身)にいて飛行機の設計をしていたんだよ。数学がとっても得意でね。きっと君も知っている飛行機だと思うよ。「紫電改」さ。川西航空機第3設計課ってところでね。主翼の強度計算を主にしていたんだよ」
いわき市で紫電改の名を聞くとは思わなかった。紫電改というのは日本軍の中でも最優秀のひとつと言われる太平洋戦争末期に登場した戦闘機。僕もプラモで何機も組んだことがある飛行機だ。その飛行機に関わっていた人のお店で俺は思いっきり模型ライフを楽しんでいたのか……とこの日初めて知り、胸が熱くなってしまった。
今井氏は話しながら様々な物を見せてくれた。当時の写真、展示コーナーに普通に置かれている本物のラムジェットエンジンなどなど、どれもが素敵だった。
日本軍を代表する戦闘機に関わり、その後は教職を経てこのお店をオープンさせた飯島登司氏。僕にとってはレジでニコニコしていたおじいちゃんって感じだった人に、そんな歴史があったのかと感動してしまった。この話を聞けただけでも、故郷に帰ってよかったと思う。そして、この日を境に「紫電改」のプラモは僕にとって特別なものとなった。
いいじまホビーは震災・コロナの中でも、福島県の海側地方である浜通りの模型サークルや、顧問の今井様のサポートによってお店の営業を続けている。僕が訪れた日には、次の日から仙台の大学へ行くと言っていた学生が、その前にこのお店に顔を出して模型を買って行く様子も見られた。そう、このお店には模型が好きな人を惹きつける魅力が確実にあるのだ。
自分自身のプラモルーツへの帰郷は、思いがけないお土産を僕にくれた。ここでもらった感動は、この日に買った紫電改を完成させて、お店に持っていって返そうと思う。
いいじまホビー
住所/福島県いわき市平字南町72-2