エクスプラスのマリアを組んで、ロボット模型が湛える美しさについて考えた。

 「可動ギミックのないロボットのプラモがどれだけ面白いものだろうか」と思うかもしれない。でも、それはこれまでロボットプラモを組みまくってきた人だからこそ抱く感情だ。どこも動かない金色のマネキンを組み上げてから「映画史上もっとも美しいアンドロイド」と評される滑らかな外装を組み付けていく時間は、色分けや可動機構で飾り立てられたロボットプラモを組むのとは明らかに違ったものだ。美術品に触れているような、なんだかとても高尚なことをしているような錯覚に襲われる。

 メカデザインの評価軸には「機能美」と言われるものがある。加飾のためではなくあくまでも機能のために導き出された、「そう作るしかない必然的な形状」が人間の美的感覚に訴えかけてくる……というやつだ。しかし、映画『メトロポリス』に出てくるヒューマノイドはリアリティというよりも彫刻的な美しさのために、つまり見目麗しいことだけが求められたデザインであるがゆえに時空を超越した評価を獲得したに違いない。

 モノクロの無声映画のなかでアイコニックな存在であること、神のようで、非人間的で、硬質なルックが求められたヒューマノイド。本当のところ、このプロップが何色であったのかもわからない(金色のイメージは後世に描かれたイラストによって定着したものだ)。金色のプラスチックはつまり、映画に登場したアンドロイドの模型を構成する要素でもあり、人々の脳に刻み込まれたイメージを励起させるためのトリガーでもある。ただ純粋に、「昔々、スクリーンの中に絶世の美ロボットがいたのだ……」ということを伝えるためのプラモ。

 ガンダムは、ガンプラとなったが故にその後の「ガンダム・デザイン」をある意味でプラモ的なものに固定していった。よく動き、カラフルで、プレイバリューのあるプラモは素晴らしい。そしてそれが二次元の映像のなかで活躍するのもまた、楽しいものだ。しかし『メトロポリス』のこのアンドロイドは動くことなく、本当の色もわからないまま、ただ超然とその美しさだけを後世に伝え続けている。プラモを組んで初めて、このモチーフがなぜこうも脈々と語り継がれているのかがハッキリと分かった……と言っても大げさではないと思うのだ。

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からぱた/nippper.com 編集長

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』http://wivern.exblog.jp の中の人。