それは普段かさ増しに入れられている地味な食材とは思ぬ存在感を持っていた。水っぽくやわい食感ではなく芯のある歯応え。これが「もやし」とは思えぬ、既成概念を覆される体験だった。
名を「大鰐温泉もやし」と呼ぶこの野菜は手作業で育てられているそうだ。その歴史、350年以上。江戸時代にまで遡る。食した場所は日本で最も文化を肌で感じ、年輪を重ねてきた都、京都である。
歴史ある場所で歴史ある食材を頂く。立ち食い蕎麦という入れ替わりの早い店舗であるが、いつも以上に時間の流れを意識する。厨房から漂う出汁の香りや天麩羅の上がる音が吹き抜ける風と共に都市の喧騒に溶け込んでいく。伝統と先端が混じる接点にこのお店はなっていた。「大鰐温泉もやし」は冬野菜だそうだ。もう雪解け水が鴨川を流れ出る季節が到来している。次に食せるのは来年かもしれないと一口ひと口大切に頂いた。ある春の日の出来事である。
春というと、出会いと別れの季節だとよく表現される。人や物との素敵な出会いを「縁」と表現するが、自分が探していたものと意図せぬ形で出会った時に私はその「縁」というものを強く感じるらしい。冬から春の装いへと衣替えをするため箪笥を整理する最中に掘り返したMONOGRAM社製の1/25 ポルシェ904 を手に取って改めて物との出会いについて考えた。買った時の感覚を取り戻すべく鞄に一度入れて再び取り出して思い返す。あの時の高揚感はまだ箱に残っていた。
このキットは内袋こそ開けられていたが、組み立てられた痕跡はなかった。前の所有者が開けたのか、またはさらに前の持ち主が開けたのだろうか。
そしてどこで買われたのか、その遍歴は分からない。確かなことはただ唯一、箱の側面に印刷されたMade in U.S.A.の文字の通り、太平洋を渡ってこの小さな島国にやってきたことだけである。
箱を開けて、部品を眺める。全てのランナーを取り出すとこれらはパーツというより「デブリ」、破片だと感じた。
組み立てるというよりは、散らばった破片を流麗な”元通り”にするという作業に近いのだろうか。弾けた鳳仙花の種を拾い集めるように個々を纏めて、元の姿へと戻す。そんな時間の流れに逆行するような感覚をこのキットを通して味わえそうだと部材と説明書を照らし合わせながら組み立ての工程を想像し、心が躍った。
ただポルシェ904を飾りたくば、写真を額装したり、ミニチュアカーを買ってきて置いたりすれば済む話であるが、私はこの車に対してなぜ美しいと感じるのかを知りたかった。それゆえにプラモデルこその特権、組み立てを通して試行錯誤を行うことが必要だった。そうしてポルシェ904の美しさの秘密をつまびらかにしようと企てたのである。
31年組み立てられぬまま手元にやって来た、その縁に有り難みを覚えると共に、なぜかいつもよりニッパーを握る手が震えた。その理由はすぐに分かった。
ランナーから切り離すという一瞬の刹那に31年の重みが乗っていたのである。
『パチン』
それはそのキットが新たな産声を上げた瞬間であった。
美を探究する旅路の先へと。
フィルムとデジタルを往還する日々を通して,写真表現を模索しています。生活の中でプラモデルを床の間に飾る生け花のような彩りや四季を感じる存在として据えるのが目標。