

その昔、とある大学教授の家にお邪魔したときに、小さな真空管アンプと古めかしい木のスピーカーがドンと置いてあった。ほう、おもしろいもんがあるなという目をしながら、「真空管アンプなんて古臭いもん、本当にいまのデジタルアンプより良いって言えますか?」と意地悪く尋ねたら、教授はクラシックやジャズではなく、椎名林檎の『丸の内サディスティック』をおもむろに再生して僕を驚かせた。
ドラムとベースとピアニカ(とピアノ)にヴォーカルというシンプルな構成のこの曲が、どんな空間で録音されているのかなんとなく伝わってくるでしょう、とウイスキーを舐めながら僕に言う。シンプルな録音を聴くなら、シンプルな機材でいいんだ。たとえばレッド・ツェッペリンが現役だった頃はドルビーデジタルも5.1chサラウンドもなかったんだからさ、アナログのステレオ音源でリリースされた音源がアナログ2chの環境で聴く以上のすごい音になるなんてことはないんだよ、と続ける。
今考えてみたらあれは巧妙なレトリックだったような気もするけど、「なるほど一理あるな」と思ったのは事実だ。

これは1957年製造のモノグラム製スーパーコンステレーションの説明書だ。パーツがバラバラの状態でデカールを貼って、それからパーツを貼り合わせましょうというのがその手順(「塗装はどうするんだ?」と思うかもしれないが、前頁に「もし塗装したければデカールを貼る前に自分で手順を考えてやってね」と書いてある)。プラモデル黎明期の「当たり前」は、いまの常識とは大きく違う。だから昔のほうがよかったとか、いまのプラモもこう作ろう、なんて話をするつもりはない。

これは1964年に設計されたメリット製のソッピース・キャメル。今はチェコのSměrという会社が販売しているが、その時代性を考えると、合わせ目を消すなんてことはたぶんメーカーも想定していなかった時代のプラモだ。当然ながら現代のプラモと比べればディテールはユルいし、各部の精度もアヤフヤ。イマドキの仕上がりを求めたら、どう考えたってイマドキのプラモを買ってきたほうが楽だし、いろいろ正しい。ただ、このプラモは1000円で買えるし、わりと店頭で見かける率が高い。

このプラモをレコードに例えるならば、ザ・ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』と同い年で、モノラルとステレオがまだ混沌としていたころのプロダクトだ。説明書通りにパーツを切り出して、貼って、数少ない合わせ目はそのまま、筆で指定された色(に近い塗料)をペタペタと塗っていく。可愛いフォルムとハッキリした彫刻に色が乗っていくさまは、とっても楽しい。


筆目がしっかり残った主翼にラウンデル(イギリス機の国籍マーク)のデカールを貼る。タミヤのマークフィット(スーパーハード)があれば、ツヤ消しだろうが波打った面だろうがビビらずにビシッと貼れる。こういうところだけは、現代のテクノロジーの力に頼る。
完成してみたら、ずいぶんかわいい佇まい。「精密な飛行機の模型」というよりも、「飛行機のカタチをしたミニチュア」がひとつ増えた印象がある。そりゃそうだ、おそらく当時このプラモはそういう役割を担って送り出され、数多の少年たちが挑んだり返り討ちにあったりして、数少ない完成品が(その出来が今見るプラモの完成品と大きく違えど)誇らしげに家具の上にちょこんと置かれたのだろう。

ハイファイなプラモはハイファイに作りたい。それはそのとおり。……だけど、ローファイなプラモも世の中にはたくさんある。安くて古いプラモは「ダメなプラモ」ではなくて、かつて多くの人を楽しませ、いまも名作選として脈々と売られている廉価なCDと同じようなものかもしれない。

半世紀以上前のポップソングを前に、目を三角にしてレコーディングやマスタリングの至らなさを語ってもしかたないし、高額なオーディオ機器を使えば突然音質が当時のスタジオ通りになるわけでもない。褒めるなら、その時代の空気や歌手の生い立ち、ガサガサした音源からも伝わってくる歌声であるはずだ。
だったら、僕らが優しい真空管アンプのようになって、古いザラザラのレコードをそのままの姿で鳴らすような日があってもいいな、と思う。