隠れた日常のリアル。プラモに自分を見つける日

 MiniArtの人を模したプラモは実際にモデルとなった人がいるような雰囲気の良さが個性だと思う。戦車などに合うように芝居をさせるというよりは、記録からそのまま抽出した自然さが好きだ。

 先日、秋葉原の模型店「イエローサブマリン」へ行ったら、心の中でワッと言ってしまうくらいのMiniArtの兵士や一般人のプラモがたくさん。こんなにあったのかという嬉しさから積まれた箱の側面をじーっと眺めて、気になるものを取り出して、詳しい内容を探る。

 その中で「おや、これは私では」と思うものがあったので、その人が目的で買うことにしたものがある。

 右奥の帽子をやや浅く被り、上着の釦を外してを腰に当てている男性。あまりにも自然な動作で、本当にそうしている姿をパチッと写真に撮られたものがこうして形になっているような気がする。というのも、私もよくこういうポーズをこの冬から夏にかけてする機会が多かったからだ。

 近所を外出するときにL.L.Beanのトラッカーキャップをなんとなく被る。これは昨年始めたこと。デザインも、被るという行動もなんだか気に入った。これで一人で飲食店に入り飯でも食おうものなら似たような格好をしたおじさんたちの仲間入りだ。

 彼らの年になるには数十年単位の年月が必要だけど、そのときに帽子も同じように年を取っていてほしいというわけで被っている。その帽子を、横断歩道で止まっているときに脱いで、ポンっと頭に乗せる。このときの帽子の感じ。予想以上に暑い日は上着のボタンを外して涼をとる。そのときの少しリラックスした感じ。それがそのままプラモになっている。

 ミリタリーモデルの人は、とてもよくできているものが多い。私は戦車をほとんど作らないが、兵士はたくさん持っている。仕草が面白く、声が聞こえてきそうなものもある。それくらいメッセージ性の強いポーズをしているということでもあったりして、それが好きだ。

 ただ、この帽子をかぶった彼はどうだろう。あまりにも自然だ。そして、そう言い切ってしまう目を私が持ってしまっているのは、私がそういう格好をついついしてしまうからだ。きっと、そういう格好をしてしまうポーズをした人のプラモは作る人の数だけある。

 私は数年前に、父と最後に出かけたアンティークウォッチの店で二人で店主の話を聞いていたときに、相槌の種類や、タイミングが父と同じことに気づき、そのときに「親子だな」と強く実感し絆を感じた。その類似性に近いものを、5cmやそこらの人形に見つけられた、良い日だった。

 MiniArtの人々にはそういう楽しさがある。冒頭に書いたとおりだが、もう一度書きたいと思う。

 写真のように切り取られたその瞬間に、自分を見つける日が皆様にくることを私は願っている。

クリスチ
クリスチ

1987年生まれ。デザインやったり広報やったり、店長やったりして、今は普通のサラリーマン。革靴や時計など、細かく手の込んだモノが好き。部屋に模型がなんとなく飾ってある生活を日々楽しんでいます。
Re:11colorsというブログもやっています。