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創彩少女庭園がつなぐプラモデルと現実空間/「源内あおのいる部屋」を実現する意味。

 アニメ『フレームアームズ・ガール』を愛する者にとり、源内あおは特別なキャラクターである。一般的な「特別」とはやや開きがあるかもしれない。あおは端的に言ってちょっと変なのである。

 今に至る美少女プラモデルの先駆け的存在でもあるプラモデルオリジナルコンテンツ「フレームアームズ・ガール」(以下「FAガール」)。これをアニメ化するにあたって、プラモデルサイズのFAガールと出会う等身大の人間が主人公として置かれた。源内あおその人である。コトブキヤが展開する美少女プラモデルシリーズ、「創彩少女庭園 源内あお」と拡張キット「アフタースクール 轟雷お誕生日セット」は、人間として描かれていた(しかしFAガールとは違い、劇中にしか存在していなかった)源内あおをプラモデル化し、現実へ逆輸入版する試みと言えるだろう。 

 主人公として人間目線でFAガールと接する源内あおは、しかしモデラー目線のキャラクターではない。あおはFAガールをゼロから組み上げるわけではないし、そんな知識も技術もない。ただ無知で無邪気で無頓着なその性格でもって、出会ったFAガールたちに振り回され、あるいはFAガールたちを振り回す。その姿に、気づけば我々は心踊らされている。

 「創彩少女庭園 源内あお」を組み立てるとき、我々はFAガールと接するあおとは文字通り別の次元にいるように思える。今や源内あおは我々のこの世界で目の前に実現されようとしており、しかも実現するのは他でもない我々であるように思える。

 一般に、キャラクターモデルを組み立てるときに我々が求めるのは”対象”であると言ってよい。組み立てる過程を楽しみ、組み立てたそのモデルを楽しむ。モデルを組み立てることとキャラクターを実現することとの結びつきこそがカタルシスとなる。視線はこちらから対象への一方通行であり、見返りはあくまで過程と完成である。

 「創彩少女庭園 源内あお」を組み上げていくと、そこに源内あおがあらわれる。ほかでもなく「あの」源内あおである。無知で無邪気で無頓着な、でもそれゆえにこそ愛おしい、あの源内あおがあらわれる。

 その源内あおに”主体”を見ていることに気づく。まるで息づいているかのような…というよりむしろ、すでに息づき、FAガールたちとかけあう、あの源内あお。あおが、ここにいる。

 我々が実現したのは源内あおという対象ではない。源内あおがいるこの世界この部屋を実現したのである。目の前にあらわれたあおは、この世界でいわばこちらを見つめ返す。その視線が見返りとなる。

 源内あおを組み立てるカタルシスは、源内あおという主体との出会いである。思えばあおとFAガールたちとの時間も同じであった。我々が源内あおというキットを通して「あおのいるこの部屋」を実現するのと同じように、あおは『フレームアームズ・ガール』というアニメを通して何よりも「フレームアームズ・ガールのいる世界」をいきいきと実現していた。

 なにか大いなる創造主などではなく、この世界に生き、他の主体と出会う──笑いかけ笑い返し、振り回し振り回される、ただのひとつの主体。このキットはそれ与えてくれる。

 源内あおが、この部屋にいる。照れくさそうに、ドヤ顔で、当たり前に。

サラダ放る

1989年生まれ。本を読んでいろいろ考えたりするのが好きなそこらの会社員です。

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