プラモを作っていると必ず発生する、合わせ目。
消したり、消さないで済むように設計が工夫されたりする。
まるでそれは、プラモがプラモであることを隠すための作業のようだ。

プラモはプラモデルというプロダクトとして成立するものなのか、それともやっぱり本物に寄せたいという気持ちを受け止めた存在としてそこに完成するのかが、難しい。上手くなったり、たくさん作ったりしているとそういうことがわからなくなって、気づいたら決まったような動きで慣れきったゴールまで進む。いつも走るジョギングコースみたなもので、約束された大変さと、達成感を楽しむスポーツの中の1種目になっていく。

そこを、思い切って裏切ってみる。合わせ目は境目だ。つまり、消さなければそこは右と左や前と後ろの境界線。そのラインからあっちとこっちは違う世界だと、決めてみる。そうすると、いつもと説明書の見え方が変わってくる。
ふだんと違う頭の使い方をして塗ったパーツ達は思いのほか、綺麗だ。調和があって、リズム感もある。ピアノの黒鍵と白鍵のバランスのような感じ。それを、どうなる?どうなる?と貼り合わせる。

結果的に生まれたのはリズムであり、プラモがプラモであるという痕跡の合わせ目は隠されるべきものであると同時に、たまには日の目を見ても良いという事実だ。このハセガワ 1/72ライトニング F Mk.6がどのように分割され、それが組み合わさって立体になるのかがよくわかる。この飛行機の特徴である、直線的でありながら丸みのあるフォルムや増槽の配置は、前から後ろへ気持ちよく伸びる茶色とグレーのストライプのためのキャンバスとなった。こんな風に規則的にパーツが分割されていたなんて、という秘密があぶり出されるかのように。

片方から見れば茶色が濃く重厚感のある感じ。当然であるが、もう片方から見ればグレーの面積が増えるので軽さが出てくる。

やはり、合わせ目は合わせ目であるが、それと同時に境目である。
その境目が織りなすリズムは今回はたまたまストライプであったわけだが、他の飛行機は、車は、戦車は、どんな模様を隠してしれっと私たちの前に存在しているのだろう。夜の帰り道、レンガ敷きの歩道が引き剥がされ、複雑な工事跡があらわになっているときの、思わず見てしまう「あの感じ」。それを私たちはいつでも見ることができる。