
プラモの筆塗りについて少し考えてみると「特定の面を塗料で敷き詰める」みたいなことをしていることがわかる。あえて「敷き詰める」と書いたが、実際には塗っている。しかし、これが「絵具やペンキのように塗っている」と頭の中で考えるのか、「鉛筆やペンで行うように描いていく」と思うのかで随分と様子が変わってくる。
と、いうわけで「ペンで描く」という本の話。美術技法の専門書を多くラインナップしているマール社の発行するペン画の名著で、本書を読んでその通りに練習するとかなり上手くなる。私も、私なりに上手くなった。この本の中で私が重要だと思ったのは、「ペンのタッチはさまざまであり、大事なのはそれをどう使うか」ということだ。一つの面を埋めるのにも横線を並べるのか、縦線を並べるのか、あるいは曲がりくねった線で埋めるのかでずいぶんと見え方が違う。これを活かした作品はペン画ならではだ。この考え方を少し、筆塗りに拝借する。

ついつい筆塗りも、「塗装」という語感のとおりに、つなぎを着た塗装工の気持ちで塗ってしまうが、ここはひとつ、ペン画の大家になったつもりでやってみるというのはどうだろうか。筆塗りの筆跡は、ペン画で言うところのタッチだと考える。表現するものはなんでも良い、私は今回はタミヤのクォードガントラクターが雪の中を突っ走る様子を表現した。ナイロン筆の規則正しい刷毛目をリズムよく、一定方向に(そう、まるでペン画のタッチのように)与えて様子を見る。果たして風景は、雪になっただろうか?

実際には雪になったかどうかは、製作者が「これは雪を表している」と言った時点で世界観が固定される面もあるのだけれど、見ている人が直感的に「雪であるな」と思ったのならば大成功だと思う。今は情景の表現としては雪も含む、砂や草木などを再現したマテリアルもたくさんあるので、本当に雪のような物を乗せることは比較的容易いし、見た目もかなり綺麗だ。しかし、この写真のなかには「雪そのもの」は存在していない。
一方で、こういった少し危険な遊びは、少し挑戦的だし、どうなるかはわからないし、場当たり的な面もある。「俺は雪を描いている」と思いながらも、目の前に現れるのは積もった雪ではない……という、不思議な行為だ。

そこをなんとか安定させ、天秤がグラグラ揺れながらも釣り合っている世界観を作り出すには冒頭で紹介した『ペンで描く』のようなガイドが必要だ。結果として、クルマの屋根に雪を載せるよりも雪を、デコボコと濡れたぬかるみを作るよりもを雪山を感じさせる世界が生まれる可能性があるかもしれない。
プラモを作るとき、いったい何を再現したくて、何を塗り、置き、つけるのか。『ペンで描く』に収められたさまざまな作例や図版のように、そうした思考をすべて筆のタッチに乗せてしまう。そんな日があってもいいと思うのだ。