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褐色肌のギャルとアイドル、オレたちとプラモデル/30MS 和泉愛依の持つ空前絶後の批評性を読み解く。

 バンダイスピリッツの30MSシャニマスシリーズがスタートしてからこの日を待っていた。褐色ギャルの和泉愛依ちゃんの発売日。あまりにも最高。あまりにも好き。争奪戦を覚悟していたけど店頭で普通に買えてしまう。30MSのシャニマスシリーズ新作だよ? 君たちなんで褐色ギャルに殺到しないの? 買おうよ! いま褐色ギャルを買わないと褐色ギャルの新しいプラモが発売されないんだが!? 恐竜は褐色ギャルのプラモデルを買わなかったから滅んだと言われているんだが……? と、ひとり狼狽えていたらだんだん気持ちが昂ってきて(最初から充分昂っていたが)マジの妄言が出てきたのでここ置いておきます。妄言ですが、マジです。

 つまるところ、30MSの和泉愛依とはすなわち、われわれモデラーの似姿なのである。藪から棒に何を言い出すのかと思うかもしれないが、私がこのプラモデルを組んでいて感じた言い知れぬ魅力というのは、単に私がギャルモチーフ好きであるとか、そもそも和泉愛依がめちゃくちゃ可愛いとか、あるいはみんなが飛びついている「髪の毛のグラデーションを2色のプラスチックで再現する技術的な特異性」とか、30MSシリーズならではのテンポよく組めるパーツ分割とか、そんなことだけでは説明がつかない。彼女を組んでからひと晩おいて、冷静になったところで私なりの批評をここに書き記しておこう。

 ギャルとは何か。ギャルとは社会から期待される「女の子らしさ」を振り払い、あえて自分の欲望や美意識を前面化して生きる存在である。ブリーチした髪、日焼けした肌、派手なメイクやピアスといった外見の記号は単なるファッションではなく、誰かのルールを自分のルールに書き換える実践の証だ。これらの外見だけでなく、物事をポジティブに捉える姿勢や思考のプロセスもまた、ギャルを構成する重要な要素である。つまり、ギャルとは常に前向きな思考と自己表現を通じて画一的な規範から逸脱し、自由のエネルギーを体現する人間像にほかならない。

 ではアイドルとは何か。アイドルは歌やダンスの技術だけで務まるものではなく、男女を問わず「理想像を担い、同時に成長(=未熟さ)を共有する存在」として社会に消費される偶像と言っていい。観客は完成形を見るのではなく、成長や変化の過程を見守り、疑似的に発生する”親密さ”に価値を感じる。さらにこれがグループアイドルとなれば、物語はより複雑になる。個々のメンバーの輝きが重要であると同時に、多人数のフォーメーションや入れ替わりのドラマまでもが総体として商品化され、ファンは推しを選びながらも全体を応援するという参加型の体験に巻き込まれる。

 この構造をプラモデルに重ねるとどうなるか。プラモデルは本質的に量産品であり、建前上は誰が作っても同じ形にたどり着けるよう設計された商品である。誰でも完成させられるはずの、デザインされた均質性こそが工業製品としての機能であり、その均質性こそが差異を強調する土台となる。グループアイドルのメンバーが衣装や振り付けや発声法といった”型”に収まるからこそ、そこから漏れ来るわずかな差異(=個性)が物語になるのと同じように、同じプラモデルが必ずしも全く同じ完成品にならないことにモデラーは面白さを見出している。
 これはプロダクトの特徴としても同じだ。色や形やマーキングにおける少しの違いをパーツやデカールで再現し、多様なバリエーションキットを展開する自動車や戦闘機や艦船はもちろん、30MSのシャニマスシリーズのコア・ロジックである「まったく同じ衣装のパーツを軸に続々と違うキャラクターを生み出す」という手法を見てもわかるとおり、プラモデルとグループアイドルの親和性は限りなく高い。

 しかし「表現行為としての模型制作」まで踏み込むとその構造は反転する。メーカーの企図する説明書どおりの一本道から外れて自分なりのゴールを設定し、組み立て、塗装し、改造する営みは、自分の欲望や理念をかたちにする行為だ。同じキットから他者のそれとは全く異なる完成品が生まれ、見る者は完成品を通して作り手その人の個性やスタンスを感じ取ることになる。これはすなわち(たとえ「実在するモチーフにどこまでも忠実な何か」を求めた結果であったとしても)自己表現を通じて画一的な規範から逸脱し、自由のエネルギーを体現する行為にほかならず、プラモデルを通じて何かを表現するのは畢竟「ギャル的な価値観」に通ずる。

 この重層的な文脈を踏まえて、和泉愛依という存在に戻ろう。ギャルとしてのルックを保持しながら、いかにもグループアイドルらしいブリブリの画一的な衣装に身を包む彼女は「プラモデルという画一的なメディウムを纏い、ユーザーにクリエイティビティの可能性を示唆する女神」そのものである。
 そしてこのキットに付属する三つの表情パーツ──照れと戸惑い、会心の笑顔、心を隠すミステリアスな澄まし顔──は、彼女自身の持つ性質と演じる役割のコンフリクトを示す記号であると同時に、われわれモデラー自身の心情を映す鏡でもある。完成品を他者に差し出す不安や恥じらい、思い通りに仕上がった快哉、本心をよそにカッコつけたい気持ち。これら三つの態度は、褐色肌のギャルが観客の前に立ち、おずおずと表現に挑み、ときに輝く笑顔を投げかけ、ときに澄ました顔でファンを引き付ける姿とまったく相似形を描いているではないか。


 だからこそ言えるのだ。和泉愛依のプラモデルは、単なるキャラクターの再現アイテムではない。ギャル的な逸走、アイドル的な物語、画一性を持ったプロダクトへの慕情、そして表現行為の楽しさと恐ろしさをパッケージングした重層的な意味を持つプラモデル──。そこから浮かび上がるのはほかでもなく、われわれモデラーの姿なのである。30MSの和泉愛衣は私たち自身の気持ちを分光するプリズムだ。そう、和泉愛依を組むとき、あなたもまた和泉愛依に組まれているのである。

からぱたのプロフィール

からぱた/nippper.com 編集長

模型誌の編集者やメーカーの企画マンを本業としてきた1982年生まれ。 巨大な写真のブログ『超音速備忘録』https://wivern.exblog.jp の中の人。

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