模型と読書/古典を読みながら「プラモデルの完成」とは何か考える

 プラモデルを楽しもうと思っても、なかなか完成しない、途中で投げ出してしまう、一応完成はしたけど納得いかない部分がある、増えるのは積みプラばかり……と苦悩すること、ありませんか。それでも模型雑誌やSNSを眺めていると凄腕モデラーの超絶作例がものすごい製作スピードで怒涛の如く目に入ってくるので自分のプラモデルを振り返り自信を失うことしばしばです。なんとか完成したと思っても、不満なところが目についたり、不注意で壊してしまったりして仕舞い込んでしまったり、ひどいときにはゴミ箱に放り込んでしまったりもします。

 作りかけのプラモや積みプラや放置しているジオラマが恨めしく自分を見てくる気がするので、どうにも模型を作る気にならず模型机を離れてしまう日もあります。そんな日はゴロゴロしながら古典を読むに限ります。

 随筆の名著『徒然草』の第82段で、吉田兼好は「なんでもかんでも整えようとするのはあまりよくないことだ。やり残した部分を置いておくのは、面白くて長続きすることだ。内裏(皇居)ですら作り切らないところを残してある。」と語っています。また、ある人が「うすもの(絹布張りの表紙の書物)はすぐにボロボロになるから困る」と悩んでいたところ、頓阿という僧が「うすものは表紙がほつれてから、螺鈿細工は貝が抜け落ちてからがよいのだ」と答えた、というエピソードもあります。

▲国語の授業では触れなかった章にめちゃくちゃ面白い話や含蓄のあるエピソードが潜んでいます。

 私はこの段が好きで、プラモデルでうまくいかないところや不満なところがあるとこの章を思い出します。完成したプラモを不注意で壊したりしても「艦船モデルはマストが折れてからがよいのだ」「デカールは黄変してバキバキになってからが趣があるのだ」と、受け入れることにしています(若干泣きながら)。

▲マストやアンテナが折れた護衛艦、ハッチがもげた戦車、キャノピーがどっか行った戦闘機…完成したプラモは何かと壊れるものです。

 さらに遡って中国の古典「老子」にも、「大成は欠けたるがごときも、その用は廃れず」とあります。大いなる完成は不完全なところがあるように見えてもそのパワーは衰えない、と説かれています。確かに、技術的に拙かったり、必ずしも精密ではないプラモデルになんともいえないパワーを感じて心を動かされることがあります。逆に、ディティールや考証にこだわって精密に作り込んだプラモデルがいまいち楽しくないしグッとこない、ということもあると思います。

▲老子を読んでいると、他にも「これプラモデルの心構えマニュアルだ…」「SNSや展示会でのトラブル防止マニュアルだ…」と思うような章もあります。

 徒然草や老子に流れている思想の一つとして、完璧で一部の隙もない「完成」を目指すことにあまり大きな意味はない、というものがあるようです。プラモデルを作っていて思い悩んだら、少しプラモデルや模型雑誌、SNSから離れて古典をたずねてみると(模型雑誌やSNSのように即効性のあるハウトゥやハックはありませんが)、前向きになるヒントが隠れているものです。不完全燃焼だと思っていたプラモデルや、壊してしまったプラモデルも、紛れもなくあなたが完成させたプラモデルとして愛おしくなるかもしれませんし、作りかけのプラモデルも思ってもみなかった素敵な完成を迎えるかもしれません。

C重油
C重油

1991年生まれ。山口県の小さな漁港出身。大きな港に就職し大きな船を見ているうちに船の模型が作りたくなり、フルスクラッチも始めた普通の会社員。